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ボクシングの事書いてます

I am a BOXER


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 今回は久米川木内ジムに行った時の記事に出てた、木内会長の自伝本、「I am a BOXER」を紹介します。
 この本は一般流通していないので読む機会はなかなかないと思うんですが、面白かったので紹介したいんですわ。

 木内会長は畑山隆則が出場していた新人王の同期である。
 デビューより7連勝して東日本新人王を獲得する有望ボクサーだった。
 全日本新人王決定戦は相手が後の世界王者越本隆志だったこともあって判定負けを喫してしまうが、有望選手であったことは間違いない。
 再起戦も判定負けを喫してしまう、本には東日本新人王を取った時がピークだったと書かれている。
 14戦目には現、写心家でNYに渡った金子ジムの山口裕朗さんに8回戦で判定負けという記録も。(山口さんの撮った内山高志の写真集の記事
 勝ち負けを繰り返すが1997年度のA級トーナメントに出場、優勝を飾る。
 底力を見せるが、又勝ち負けを繰り返して次第に負けが多くなっていくのだった…
 その戦績の中には日本王者になりウィルフレド・バスケスに挑戦した横田広明帝拳ジムの日本王者、木村利景、ヨーナサン3Kバッテリーに挑戦した杉田竜平と凄いメンバーも。
 
 そうした状態でもズルズルと試合を続け2005年の1月、ワンパンチKO負けを喫する。
 本人も極端に自分が打たれもろくなってることに気づいてはいた。
 限界を感じてはいたがやめる気はない、そこでタイに行って試合をすることに。
 「タイに行って環境を変えればやり直せば勝っていたころに戻れるはず」
 その思いで海外を飛び出すのだった。
 
 地球の歩き方を片手にバンコクでジムを探すもののなかなか見つからない。
 しかしめげずにタイ生活を楽し見ながらたどり着いたジムはかつてのチタラダジム、当時は会長のソンポップ氏は亡くなってしまいジムは他の人の手に渡っていてかつての勢いはなかったのだが、そこで練習することに。
 
 木内会長の本を読んで思ったことはオイラと違って海外生活を楽しんでたという事ですなぁ。
 30歳を超えて行ってたので大人の余裕みたいなものを感じる。
 オイラは海外に行くと面倒くさくなって家とジムの往復しかしなくなっちゃうのだ…
 でも長い事いると慣れて来て出歩くようになるとなぜもっと早くしなかったんだろうと後悔するのだ…

 タイでの練習を初めて、試合が決まりリングに上がるも判定負け…
 海外での試合というのは日本での試合とはまるで違う、日本ジャァ2,3か月前に試合が決まる、遅くても2か月前にはたいてい決まると思う(例外もあるけど)
 でも外国での試合はいい加減でいか月前なんてざら、3日前、なんてこともあったよう…
 階級も2,3階級上でやらされたりと過酷な状況(苦笑)
 そんな状況でもどんな試合でも受けたのだった。
 一度帰国して体制を整え再度チャレンジすることに。
 二度目の訪タイではシンガポールで試合が組まれた。
 シンガポールはボクシング後進国なのでコミッションもなくここでの勝利はboxrecにも記載されていないのだ…
 インドネシア人との試合に判定勝ち、第三国なので地元判定がなかったのだ。
 試合が終わりバンコクに戻るのだがタイトルマッチの話が二転三転、嫌気がさして拠点をシンガポールに移すことに。
 前回の訪問で知り合ったマネージャー宅に居候しながらシンガポールでの生活を楽しむ木内さん。
 しかしシンガポールはボクシング興行が少ないので試合がなく帰国することに…
 半年ほど日本で働いて3度目の海外遠征は気に入っていたシンガポール
 しかし訪れたシンガポールは半年前と状況が変わっていた…
 マネージャーをしてくれていたシンガポール人の友人の生活環境が変わり果てていたのだった…
 それでも来たからには試合をするしかない、2か月先に試合が決まったが間があるので試合をすぐ組んでくれるバンコクに飛び試合を挟むことに。
 減量をしている暇もないので3階級ぐらい上の階級で試合をしてKO負け…
 ダメージを抜くためにゆっくり練習を始めるとすぐさま試合が決まる、シンガポールでの試合の1週間前だ。
 この試合も相手が大きく一発でKO負け…
 ダメージが深刻だったがシンガポールでの試合を断るわけにはいかず試合は全く攻めずにブーイングを受けながらの判定負けだった…
 シンガポールではもう使ってくれないと考え再びバンコクへ。
 ダメージを抜いてから試合をすることに。
 しかしダメージを抜いているにもかかわらず相手のパンチがよけられない…
 結果良い所なくKO負けを喫するのだった・・・・
 この試合でのダメージでしばらく頭が重く、冷静に判断して自分が壊れてると認識、ボクシングをやめる事に。
 
 帰国し所属していたシシドジムでトレーナーをしている時にジムと大家の問題や会長の体調不良などが重なり木内さんがジムを引き継ぐことに。
 現在KS久米川木内ジムとしてプロを育てて選手育成に励んでいる。

 正直、この本を読んで自分も海外でボクシングをやってたけど甘ちゃんやったなぁと思いました…
 オイラは一度引退した後、4年後にタイでカンバックしたんやけどその時、壊れるぐらいにガンガン試合やったる!って思って行ったけど結局三試合しかできずに帰ってきた…
 オイラが帰って来た後、メキシコで知り合った元日本ランカーの友人はタイに渡り一か月に一度のペースで1年以上滞在し最後はPABAに挑戦してグローブを吊るしたんやけど、その人がタイ滞在で毎月試合した時本当に身体が壊れるかと思ったと言ってた。
 オイラはディフェンスが悪いので木内さんやその人の様に試合してたら完全にカーロス状態になってたかも(笑)
 
 ボクシングは脳にダメージを与えあうスポーツで本当に危険を伴うスポーツである。
 でもその魅力は見る側もする側も本当に人をのめりこませる魔力があるものですがこの本の作者の木内さんはまれにみるボクシングジャンキー(ほめ言葉)やと思いました。
 
 旗の台なかよしボクシング倶楽部のスパー大会に木内ジムも参加すると聞いていたのでこの本を持って行ってサインもらいました!

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                      これでぇ~す!

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                  後楽園ホールで木内会長と会ったのでパチリ!

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              木内会長は くらんど会にも参加してました!前列右から二人目