熟山竜一
2000年代初期に日本ボクシングを観ていた人なら知ってるでしょうが、最近ボクシング観るようになった人は知らん人がほとんどでしょうな。
それはやはり、ベルトを巻くことが出来なかったから・・・
世界のベルトを巻いていなくても人気は世界王者以上という選手はちょこちょこいますな。
坂本博之なんかがその代表でしょう。
でも、日本王者になってない選手でもかなりの知名度や人気を誇ってた選手もいる。
昭和初期の選手とか出したらきりがないけど平成になってからでもベルトを巻いてないスターはたくさんいる。
大嶋宏成は日本王座に届かなかったけどCMに出てたり刺青ボクサーとしてかなりの知名度を持ってた。
同じく、川崎タツキもそうですな。
まぁ二人は特異なことで注目を浴びたんやけど正統派の実力者で不運にも網膜はく離でリングを去った飯泉健二さんという人もいる。
パンドラ会主催のそよかぜトレーナーにとっては世界王者よりもこの人って言うぐらいの憧れの人だったらしい。
熟山竜一さんはオイラにとってそういう存在やった。
失礼な言い方になるがヘタな世界王者よりも憧れをもってるなぁ。
だいたい、オイラ日本人の世界王者でもハッキリ、ファンやって言うのは辰吉ぐらいで、そりゃあ世界王者全員尊敬してるし雲の上の人やって思ってるけど全員ファンかって言うとちゃう。
でも熟山竜一はファンなのだ。
大体オイラ自分より年下の人間のファンになること俳優とかでもあんまりないな~(外人は除外)
というわけで、パンドラに熟山さんが来ているのを知ってたので行った部分も正直ある。
そんな熟山竜一さんの選手としてのプロフィールを紹介します。
元日本バンタム級ランカー、30戦 20勝(8KO) 7敗 3分
幼いころから自然とボクシングに慣れ親しんできて早い段階でその才能は有名だった。
オイラは現役時代にJM加古川の会長の息子が天才だって聞いたことがあったがその後に西岡利晃が出てきたのでてっきり西岡がそうだと思っていたら何か違うようだって後で聞いた。(ちなみに熟山は西岡よりも2つ年下)
ジムの会長が父親だと正直、逃げ場がない。
天才少年として有名だった熟山は中学生にして世界王者とスパーリングをして打ち勝つような逸話が残されている。(ユーリに1発もパンチをもらわなかったらしい)
熟山も高校2年の時インターハイで優勝してボクシングの情熱をなくしてしまうのだった。
周囲からはボクシングジムの会長の息子で英才教育を受け天才性を見せていた熟山には過剰な期待が寄せられていた。
我が家がボクシングジムなので逃げ場もなく厳しい父親にきついトレーニングをかせられた上に周囲の期待は膨らむばかり・・・
期待に答えないといけないというプレッシャーをとりあえず、インターハイ優勝で達成させた熟山はボクシングから離れてしまう・・・
神戸でホストとして稼ぎまくって一般ではない夜の世界での青春を謳歌するのだった(笑)
そんな時に父親がジムを閉めるという噂を耳にする・・・
家出より4年が経過していた。
ホストの仕事にもむなしさを覚えていた熟山は意を決して父親に頭を下げてジムに戻ることに。
早速試合を決める父!
完全になまりきっていた身体を仕上げる猶予も与えず父は息子にハードなボクシングロードの幕開けを告げるのだった!
新人王に出場権を得るために3ヶ月連続で試合を。
デビューから2連続KOした熟山、しかし3戦目はフィリピンでの10回戦の相手との試合だった・・・
この試合は何とか引き分け。
そして新人王予選を勝ち上がっていく。
8戦目中里直人に勝って全日本新人王に輝く。
9戦目は初の8回戦を判定で勝利、しかし10戦目に初の10回戦をハイメ・バルセロナと戦い判定負けで落としてしまう。
11戦目は西岡利晃とも好勝負を広げたタイ王者ヨドシン・チュワタナ。
オイラはこのヨドシンとタイで試合してるのだ。
神戸で試合があったんで旧敵は友!という事で応援に行ってきました。
しかしヨドシンは1ラウンドKO負け・・・
オイラの造語があるんやけど同じ対戦者があるボクサー同士を「拳兄弟」というのだが、オイラと熟山竜一さんは拳兄弟である(笑)
タイチャンピオンに勝って東洋ランキング入りを果たした熟山は日本人キラーと異名をとった東洋ンバンタム級チャンピオン、ジェス・マーカに挑戦が決まる。
しかしこの初タイトル戦はキャリアの差が出てしまいマーカにレッスンをされる羽目に・・・
判定は2-1だったが完敗、出直しを余儀なくされるのだった・・・
東洋がだめなら日本!14戦目には当時の日本バンタム級王者仲宣明に挑戦が決まるがその前哨戦に選んだのがなんと協栄ジムがロシアから呼んだアマエリート、ナイト・アレキサンドル後のサーシャ・バクティンである。
1ラウンドにサーシャからダウンを奪い行けると思ったのもつかの間、超絶テクニックに翻弄され判定負け・・・
気を取り直して仲との日本タイトルに挑んだ熟山だったが試合を優勢に進めながらも結果はドロー・・・
会長が判定に不服を言い、ダイレクトの再戦が組まれる。
一度目の試合で勝っていたというおごりが熟山にあったのか?出だしは良かったものの回を追うことに仲の気迫に押されるようになっていく。
1ラウンド目に仲が切った傷が元で試合続行不可能となり4ラウンドテクニカルドローで二度目も戴冠ならず・・・
この試合、仲は自信を持ったのか決着はついたと言い放たれてしまう。
まぁ正直、4ラウンドまで調子良かろうがどうなるかわからないのがボクシング、ただつけ込まれる隙というか精神的弱さも熟山にあったことは否めない・・・
韓国人を1ラウンドKOし再起したが再起2戦目にホープのブレイクのきっかけを与えてしまうことになるのだった・・・
そう、後の世界王者長谷川穂積にダウンを奪われ判定負けを喫してしまうのだった。
オイラこの試合の結果知った時に本当にびっくりした・・・
サーシャやマーカに負けたとはいえ仲とのタイトルは2試合ともにドローでまだまだこれからと思ってた熟山が無名の日本人に破れるとは!
まぁこの後、長谷川は日本人キラージェスマーカから東洋王者を奪い真のブレイクを果たすのだが。
この試合もサーシャの技巧に翻弄され完敗。
すぐさま再起し4連勝で三度サーシャと拳を交えるも判定負け・・・
とうとうサーシャの壁を乗り越えることはできなかった。
しかし、ベルト奪取の夢はまだ捨てない。
再起2戦、日本人相手に勝利、30戦目で山口賢一と8回戦を行うがまさかの判定負け・・・
これでグローブを吊るす決心をつけるのだった・・・
熟山さんは本当に才能あふれる天才少年だった、オイラの後輩の元世界ランカー藤原康二は熟山さんとスパーして西岡と同じくらいの天才だと言ってた。
オイラ、世界王者とスパーしたり練習もたくさんみてきたけど日本人で藤原以上に才能を感じた人は実を言うといない。
まぁ藤原よりも不真面目なボクサーも見たことないけど(笑)
その天才藤原をして西岡は天才やと認めざるを得んという話しやったけどまじめなころの熟山さんもそれに匹敵する天才性を持っていたと藤原は言い切ってた。
西岡が中学生のころに世界ランカーだった飯田覚士をスパーダウンさせたって聞いたことがあるんやけど(噂なので真意は確かではない)熟山さんはユーリ・アルバチャコフにパンチを当てさせなかったという伝説があるのだから!
比べたら悪いけどやっぱり飯田とユーリを比べるとユーリの方が断然上の選手、しかもダウンをとるというのは油断とかとったほうが強烈なハードパンチャーという要因もあるけどユーリのようなアマチュア経験豊富な強者がパンチを当てれないというのは本当に恐ろしい、それもその時中学生やったらしいからな。
そんな天才も夜の世界で遊び倒して才能をさび付かせてしまった・・・
藤原が戻ってきた熟山さんは普通に強い選手ぐらいになってたと言ってたもんな。
その話、失礼と思いながらも本人にしたら「いやぁ~遊び倒しましたから」と笑ってた。
オイラはその天才少年だったころは見てないが噂で聞いてたのでデビューを楽しみにしてたのになかなかデビューしなくてなんでっ?て思ってたら色々あったんですなぁ~~~
しかし最近はイケメンアスリートとかよくマスコミが騒ぐけどここまでの二枚目アスリートめったにいませんで!