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”ミ・ビダ・ロカ” ジョニー・タピア

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 今回は、ジョニー・タピアの紹介を。
 西岡選手がラファエル・マケスに勝った試合の前座で亀海選手の対戦相
手のセコンドについて元気な姿、映ってたな。
 戦績 63戦 56勝(28KO)5敗 2分
 元WBO,IBFスーパーフライ級、 WBA,WBOバンタム級、IBFフェザー級を制した三階級制覇王者。
 ニックネームはミ・ビダ・ロカ(マイ・クレイジー・ライフ)とベビー・フェイス・アサシン
 28戦目にヘンリー・マルチネスとWBOスーパーフライ級王座決定戦を争い11ラウンドTKO勝ちし世界王者に。
 ノンタイトルでローランドボホールを2ラウンドTKOした後、防衛ロードを歩む。
 ちょこちょこ、ノンタイトルを挟みながら計13度の防衛を果たすのだが、その中でも一番輝くのが11度目の防衛戦、同郷のライバル、ダニー”キッド・ダイナマイト”ロメロの持つIBFスーパーフライ級との統一戦を制した星!
 この同郷、ニューメキシコ州アルバカーキ対決は盛り上がり結果はその後の2人の明暗を作ったとも言える。
 タピアは3階級を制したのに比べ、ロメロは二度と世界チャンピオンに返り咲くことはなかったのだった…
 ロメロとはその後は友好な関係を築き、ロメロの父親はタピアのセコンドに付くほどの仲に。
 V13をした後、ウェイトを上げてWBAバンタム級チャンピオンナナ・コナドゥに挑戦、これを判定に下し、二階級制覇を遂げる。
 しかしのこのタイトルは、辰吉に挑戦したこと(負傷判定負け)もある、ポーリー・アヤラに判定で初黒星を喫し奪われてしまう。
 しかし次の試合ですぐにWBОバンタム級王者ホルヘ・エリセール・フリオに挑戦、判定勝ちしWBOバンタム級チャンピオンに。
 このタイトルはハビエル・トーレスを相手に一度防衛した後返上、よっぽど悔しかったのかフェザー級マイナータイトル(IBA)のタイトルマッチとしてポーリー・アヤラと再戦。
 しかし相性が悪いのかまたも判定負けを喫してしまうのだった。
 この時は判定に不満をぶちまけ陣営の一人がプロモーターの親戚を殴り陣営は(タピア含む)警察官に連れられて退場したのだった(笑)
 気を取り直し3戦ノンタイトルをこなしてIBFフェザー級タイトルマッチのチャンスをつかむ。
 このマニエル・メディナとの対戦は判定に物議を出したのだがタピアが勝利し、三階級制覇を達成。
 しかし防衛戦を行わず、当時フェザー級最強と言われていた、マルコ・アントニオ・バレラとの対決を選び、IBFタイトルははく奪されてしまう。
 当時バレラは無敵のナジーム・ハメドに初黒星を付け、WBCフェザー級王者エリック・モラレスとの対決に勝利しながらWBCとの確執により受け取りを拒否(WBCタイトルマッチで勝利した時にWBОベルトを掲げた)。
 そういう経緯もありフェザーキングという名をほしいままにしていたバレラとの対決はタピア初のアンダードック(予想不利)でもあった。
 この二人はプライベートでも仲が良いらしく友情対決も言われてたな。
 でも、タピアの10度目の防衛戦でバレラの兄貴ホルヘ・バレラが3回で倒されてるけど。
 ただ、こういうボクサー同士の友情とかってどこまでの仲かわからんけどな。(モンティエルとドネアもお互いの言葉違うから親友と呼ぶほど仲えぇかわからんやろ)
 この対戦は予想通り、バレラの判定勝ちやったけど、ローブロー貰った時にバレラに突っかかって行ったシーンがおもろかったわ(笑)
 ちなみにバレラのトランクスの後ろに書いてる「TAPIA」の文字はタピアとは何の関係もなくバレラの母方の苗字。
 この試合以後はタピアもメジャーな舞台から見放されてしまうのだった。
 フランキー・アデュレスという無名ボクサーに判定を落とし(のちに雪辱)サンドロ・マルコスという選手には2ラウンド、ボディでKОされてしまうのだった。
 この試合で潮時を感じたのか引退試合エバリスト・プリメロと行い判定勝ち、グローブを壁に吊るした・・・
 と思ったら3年後(2010年)復帰してノンタイトルを二度行い両試ともにKОを収めている。
 また復帰するかもしれんな…
 ボクサーとしての軌跡はとりあえずここまで。
 
 タピアのニックネーム”Mi Vida Loca”とはスペイン語で私の狂った人
生という意味なのだが、まさにそのような人生を送ってるのだ。
 メキシコ系アメリカ人のタピアは貧しい家庭で生まれたのだが、タピアが生まれ時にはすで父親は射殺されていた。
 子供の頃、乗っていた車が衝突事故に巻き込まれ同乗していた二人は亡くなったのだがタピアは生き残るという強運があった。
 8歳の時に母親がタピアの目の前でレイプされ殺害される。
 だからタピアは心が病んでしまい、薬に頼ってしまうのだ。
 祖父に引き取られるのだがこの祖父が元ボクサーで暴れん坊のタピアをボクシングジムに連れて行ったらしい。
 プロデビューして18戦目でUSBA、スーパーフライ級タイトルを取り、4度防衛するのだが4度目の防衛戦の後の尿検査でコカインが検出され薬物違反のペナルティで3年間の資格停止を食らうのだった。(ブランク中に何度もドラッグテストが陽性だったり恐喝事件も起こしている)
 このペナルティがなければ当時のWBCフライ級ソット・チタラダに挑戦の話もあったらしい・・・ 
 ただ普通ならそこで終わるのだろうが3年後にカンバック!ついには世界チャンピオンに上り詰めスターボクサーになるのだ。
 このペナルティを食らっている間に結婚した奥さんがタピアの精神的支えでしっかりサポートしてるからこその復活やろうな。
 しかし現役中も薬物や精神的後遺症に悩ませられ続けていた。
 WBOバンタム級王座を防衛して返上した後鬱に悩まされ入院してたり、ドライブ中に銃撃されたり(その後暴行したと言って相手に訴えられたりした)波乱な人生は現役中も続くのだ…
 フェザー級で三階級制覇する前にも幼馴染が薬物中毒で急死そのショックで引退宣言した後に自殺未遂を起こす騒ぎも…
 バレラに負けた後少ししてからも多量の麻薬を摂取して昏倒意識不明になり生命維持装置の御世話にもなったりしてたな…
 精神的に不安定なのは今でもそうやろうしこれからもそうなんやろうな…
 たぶん、サンドロ・マルコスにKОされた試合はめちゃくちゃな体調か精神状態でリングにあがってもうたんちゃうか?
 そしてタピアはトレーナーをよく変えるんでトラベルメーカーというレッテルも張られてる。
 ミゲル・ディアス、ジェシー・リード、エディ・ファッチフレディ・ローチと凄い名前がずらり!
 なみにダニー・ロメロ戦の時にはジェシー・リードとエディ・ファッチ、ナナ・コナドゥとの試合の時にはフレディ・ローチが付いてた。
 こんなタピアやけど気さくで良い人という評判を聞いた。
 オイラの友人山口倫太郎君がトップランクジムで練習してる時、向こうから近寄ってきて
 「俺の名はジョニー・タピア、君は良く練習するなぁ~、いつも見てたんだよ」(もちろん英語で)
 と話しかけられたらしい。
 正直、オイラいろんな世界チャンピオンに会ってきたけど全然知り合いでもないのに向こうから自己紹介なんてされたこともなければ話かけられたこともないで。
 挨拶して無視されたことやったらあるけど(スパンキーK)
 タピアの奥さんは凄いしっかりしててタピアを支えてくれてるからどうにかやっていけてるらしいけどタピアは多分ものすごいピュアな人なんやろうな。
 薬やって捕まってタトゥーを全身にいれまくってアウトローなイメージばかりが先行してしまってるけど、オイラはタピアは絶対良い人と思ってる。
 所でニックネームの変化はプロモーターの意向なんかな?
 バレラの兄貴とやった時まではベビー・フェイス・アサシンとコールされてたけどダニー・ロメロ戦からはミ・ビダ・ロカに変わってた。
 まぁダニー・ロメロのほうが顔もキャラもどう見てもベビー・フェイスやからなぁ~(笑)
 ジョニー・タピアの自伝 Mi Vida Loca: The Crazy Life of Johnny Tapiaがアメリカで発売されてるみたいやけど、読んでみたいなぁ。(もちろん訳して)
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   ジョニー・タピアの自伝 「Mi Vida Loca」の表紙

 映画化の企画もあるみたいやけどハリウッドの映画の企画って出ては潰れ出ては潰れやからどうなってるかわからん…
 ただ、つまらんリメイクや続編やるんやったら作ってほしいけどな。
 作って売れたら自伝も日本で出版される可能性も出てくるやろ。
 ただ、タピア役を誰がやるとかどこをクライマックスに持っていくかとか、難しい問題もいっぱいあるからな…
 
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増えるタトゥー(笑)