土田世紀が肝硬変のため逝去、43歳
土田世紀が肝硬変のため逝去、43歳
映画化もした同じ月を見ている
オイラは泣きまくった「雲出づるところ」
4月24日、土田世紀が肝硬変のため自宅で逝去した。43歳だった
土田は1986年、投稿作「残暑」でコミックオープン・ちばてつや賞一般部門に入選。これが「未成年」と題したシリーズ連載の第1話となり、デビュー作となった。1991年に週刊ビッグコミックスピリッツ(小学館)で連載開始した、津軽の高校生が上京して演歌歌手を目指す「俺節」でブレイク。続いて1994年にはマンガ編集者に転身した元ボクサーの成長を描く「編集王」でヒットを飛ばした。
オイラの大好きな漫画家,土田世紀先生が亡くなられた…
この人の漫画は本当に泣かせるのだ。
「ありゃ馬こりゃ馬」という漫画は競馬の漫画なんであまり読む気がしないのでいまだに買ってないのだがほかはコミック化してるのは全部持ってるんちゃうかな?
その中で一番好きな漫画は「編集王」!
まぁオイラはネプチューンが嫌いなんで好きな漫画が汚される気がして一度もドラマは見てませんが…
この編集王という漫画はオイラにボクシングのカンバックを決意させた重要な漫画でもある。
実を言うと前から紹介しようと思って表紙の写真を撮ったりしてたけど面倒になって先送りにしてたのでこれを機会に記事にして土田先生へのはなむけにしようと思う。
とりあえず、編集王でのオイラのカンバックを決意させた話でも。
桃井環八(24歳)は子供の頃、あしたのジョーを読んでハマってジョーになることを生きがいとして成長、プロボクサーとなるのだった。
そんな環八だったがボクシングを始めて10年、選手としては10回戦でとどまりタイトルのチャンスも来ないで勝ったり負けたりを繰り返していた。
あまりにもジョーにはまりすぎて試合中にノーガード戦法を使いKO負けをする始末…
幼馴染の青梅と試合後に一杯やりながらしかし未来への夢は消えてない環八だった。
そんなある日、ジムで定期健診があり、医者に眼の精密検査を受けるように忠告を受ける。
10代のころからジム詰めで青春をすべてボクシングに費やし彼女はもちろん友達もいない青春を送ってきた。
10代の頃はかなり期待されていたのだが今では後輩にあぁはなりたくないと陰口を叩かれるような存在になっていたのだった。
そのすべてをかけて来たボクシングを一つの診断書が無残にも環八から奪っていく。
網膜剥離、ボクサーとしての死刑宣告…
励ましに来た青梅と自分の部屋で酒を飲みかわす環八。
酒瓶と「あしたのジョー」全20巻しかない部屋で、環八は青梅に訪ねる。
デートしたことある?、ドライブは?パチンコや競馬はおもしろい?
「何よ・・・」と青梅
「明日から何やったっていい身体になったんだ、減量や体調なんて考えなくていい、
でも…でもよう、」
これ読んで泣きました、(ていうかこれ書きながら又泣いた)
オイラ、環八と一緒で「あしたのジョー」に憧れてボクシング始めた。
でも、メキシコから帰って来てちょっと燃え尽き症候群になってやる気なくして練習もしてないときに試合を組まれ判定負け、なんかバカらしくなってやめたんやけど、別に身体悪くしたわけでも網膜剥離になったわけでもないのにまだまだジョーになれるチャンス(そんなものがあればの話だが)あるのに自ら退いたのだ。
それを考えた時にもう一度やるべきだと悟ったのだった。
この漫画がなければオイラはタイにも行かなかったやろうしパチモンとはいえWBFのタイトルマッチでリングの上で君が代を聴くこともなかったやろう。
だからオイラにとってこの漫画はあしたのジョーと並ぶぐらいに思い入れがあるのだ。
まさにオイラのボクシング人生第二章を与えてくれた漫画です。
これだぁ~!
その作者、土田世紀先生が亡くなったことはかなりショックです…(梶さんも悲しんでた)
土田先生!今まで面白い漫画ありがとうございました!
あんたの漫画にゃぁ~、本当に泣かされたよ!まさに涙のカツアゲ番長でした!
ご冥福をお祈りします。