らんぶるライフ はてな版

ボクシングの事書いてます

亀田昭雄

 今、世間では亀田と言えばボクシングの亀田兄弟が真っ先にでてくるやろう
な・・・
 でもちょっと古いボクシングファン(オイラよりも上の世代)の人は多分
 「ボクシングで亀田言うたら昭雄やろぉ~~~!!!」
 と思ってると思う。
 
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 これがその亀田昭雄です!
 そういうオイラは亀田昭雄のことはよく知らなかった。
 だいぶと前、まだオイラがボクシングにそう詳しくなかった時にボクシング
マニアの友人、で税理士のM中先生と話してる時、オイラが
 「赤井さん、日本タイトルやってないだけでやってたら余裕でとれたやろ
~」
 って言うたらM中先生に
 「否、当時の日本チャンピオンは滅茶強かったから無理!」
 って言われたのが初めて存在を知った時かな。
 
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 戦績 31戦 27勝(21KO) 4敗
 元日本ウェルター、Jウェルター(現Sライト級)王者。
 高校の部活動でボクシングを始める。
 練習もろくにしない不真面目な部員だったがオーソドックスの構えからサウ
スポーに構えを変えて真価を発揮、インターハイで優勝という活躍を見せる
(練習は相変わらずしなかったようだが)
 そう、亀田は天才にありがちな気分やで怠け者だったのだ。
 しかし亀田を知る者は決まって天才だというほどの才能を持っていた。
 大学に進み全日本選手権に優勝、アジアカップでも優勝。
 モントリオールオリンピックでの活躍も期待されたが大学の体育会系のノリ
に我慢できず大学をドロップアウトしてしまうのだった。
 何もしていないときボクシングの合宿で行ったハワイに行きたくなりハワイ
留学、お金が無くなったのでボクシングで稼ぐために就労ビザを取り、ハワイ
でプロデビューを果たす。
 ボクシングを続けるためには日本での方が都合が良いと考え帰国、協栄ジム
に入るのだった。(所属は当時、協栄に間借りしていたミカドジムのちに協
栄)
 デビューより6連続KOで当時の日本王者、 辻本章次 に挑戦これを5ラ
ウンドにKOして日本王者に。
  辻本章次はWBAウェルター級王者、ボーンクラッシャーと恐れられたホ
セ”ピピノ”クエバスに挑戦したこともある実力者(現江坂ジム会長) だっ
たがその壁を越えたことで上(世界)しか見れなくなった亀田にとっては日本
タイトルの防衛戦は苦痛以外の何物でもなかった…
 おのずと練習に実が入らなくなっていく。
 それでも”天才”は日本タイトルを防衛し続けていく。
 初防衛は判定に終わって連続KO記録は途絶えるがそれ以降は5連続でKO
防衛。
 7,8回の防衛は判定に終わるがとうとう世界タイトル戦が決まるのであっ
た。
 相手はのちにアレクシス・アリョゲリョに2タテをくらわすWBAジュニア
ウェルター級(現Sライト)チャンピオンアーロン”ザ・ホーク”プライヤ
ー!!!
 強豪チャンピオンにそれも敵地での挑戦、トレーニング期間も短くおまけに
現地ではセレモニーに連れまわされしっかり調整も出来なかったのだ。
 しかし1ラウンドにカウンターでプライヤーからダウンを奪う健闘ぶり。
 しかし6ラウンドに仕留められてしまうのだった…
 当時から言われたことだがこの時WBCの王者に挑戦していれば亀田はチャ
ンピオンになっていただろうという意見は多い。
 圧倒的な強さに触れ、プライヤーともう一度戦いたいと思った亀田は階級を
ウェルターに下げて日本タイトルを獲得、これを4度防衛するがプライヤー
は眼疾のために引退、一気にモチベーションを失ってしまう。
 金応植の持つ、OPBFジュニアウェルター級タイトルに挑戦するも4ラウ
ンドKO,再戦も7ラウンドで倒されるのであった…
 そんな時に当時新興団体だったIBFは検査も甘くプライヤーが復帰してI
BFチャンピオンに。(現在はちゃんとした団体です、むしろWBA,WBC
よりまとも)
 プライヤーと戦うためにJBCを脱退、日本IBFのバトルホーク風間ジム
に移籍し日本IBFタイトルを獲得するが、プライヤーは引退。
 完全にモチベーションを失ったところでIBF、Jウェルター級チャンピオ
ン、テリー・マーシュと対戦、6ラウンドTKOで敗れ引退するのであった…

 この人は本当に天才特有の気まぐれやなぁ~
 でも、全然練習せんのに日本タイトル取って、防衛もするってやっぱり凄い
な。
 でも、天才でも超が付くのは世界でそれをしてるんやろうけど…
 
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 見ての通りなかなかの男前。
 辻本との日本タイトルは男前対決ってボクマガに紹介されてたぐらいやから
スター性も十二分にあったのだ。