らんぶるライフ はてな版

ボクシングの事書いてます

ザ・ホーク、アーロン・プライヤー逝く…


追悼 63.5kg史上最高のボクサー


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10月9日(日)午前5時57分。家族に看取られるなか、60歳の元世界チャンピオンが永眠した。
63.5 kgのジュニアウエルター級史上、最強の男と呼ばれたアーロン・プライアー(60)。61歳の誕生日まで、あと10日だった。
2003年6月3日。私はプライアーの結婚式に出席した。米国NY、カナストータ。国際ボクシング殿堂の式典中に、プライアーは伴侶と永遠の愛を誓い合った。現役時代に野獣のようだった姿は消え失せ、溢れ出る涙を何度も拭っていたプライアーに親しみを覚えた。
プライアーは、日本国内で無敵のウエルター級王者だった亀田昭雄を下しており、私のインタビューを受ける度に「亀田に会いたい」と言った。
5年間の準備を費やし、私は彼らの再会をお膳立てした。亀田昭雄がプライアーの自宅(オハイオ州シンシナティ)を訪問したのだ。2008年夏のことだ。
26年ぶりに顔を合わせたライバルは、笑顔で抱き合った(興味のある方は拙著『神様のリング』講談社 を読んでやってください)。
その時、プライアーは語った。「アキオ・カメダともう一度会っておきたかった。私は間もなく、天に召されるから--」
網膜剥離で引退勧告を受け、ドラッグに溺れ、麻薬の売人に左手を撃ち抜かれたプライアーの体は、深いダメージを負っていた。
本日、訃報を知った亀田昭雄は話した。
「再会した時、なんて哀しいことを言うのだろうと思いましたね。それほど酷い状況でもなかったように感じたけれど、精神が参ってしまっていなのかな…。でも病院じゃなく、自宅で家族に見守られて亡くなったというのは、幸せじゃないかな。散る桜、残る桜も、散る桜というのが今の心境ですね。今は安らかに眠ってほしい」
Rest in Peace, Aaron.

 また一人、名ボクサーが天に召しました…
 
 前に書いたプライヤーの記事を張り付けておきます。

WBA,IBFジュニア・ウェルター級(現スーパーライト)王者。
 ニックネームはザ・ホーク!
 戦績 40戦 39勝(35KO)1敗
 黒人ボクサーにありがちだが彼もまたゲットー(貧民街)で育った恵まれな
い生い立ちである。
 7人兄弟の5番目として生まれるが、兄弟全員父親が違うという境遇だっ
た。
 小学生の時は知的障害があると思われていたような野生児だったが運動神経
はかなり良かった。
 ただ身長が低いので(165cmほど)野球、フットボール、バスケなどの人
気スポーツには向いてなかった。
 そこでボクシングに出会い、母の負担を減らすために頼み込んでジムで寝泊
まりするようになる。
 一日中ジムに居るので練習量もハンパではなくどんどん頭角を現すプライヤ
ー。
 アマの試合に出て活躍しだし、その戦績の中でのちの5階級制覇王者
トーマス”ヒットマン”ハーンズを一方的な判定で下した星もある。
 しかしオリンピック代表選考試合でハワード・デービスに二回も疑惑の判定
で敗れオリンピック代表にはなれなかった…(デービスは金メダリストに)
 オリンピックチームではこれものちの5階級制覇王者、シュガー・レイ・レ
ナードのスパーリングパートナーでお互い2度のダウンを与えるライバル関係
だった。
 オリンピアンとしてのプロデビューが出来なかったプライヤーはローカルフ
ァイターとしてデビュー。(オリンピアンとはファイトマネーが全然違う)
 しかし着実に勝ち星を挙げて行った。
 だが、ライバルだったレナードは金メダリストとしてプロデビューしスタ
ーの階段を駆け上っていくのだった。
 そんなライバルを横目で見ながらもプライヤーは勝ち続けとうとう世界タイ
トル挑戦にこぎつける!
 相手は名王者アントニオ・セルバンデス!(2度王者に付き通算16度の防
衛をした)
 しかしこの時までに戦績を24勝(22KO)と乗りに乗っていたプライヤ
ーは1ラウンドにダウンを食うものの次第にセルバンデスを追い詰め見事4ラ
ウンドTKOに下し晴れて世界王者に!
 しかし、プライヤーは少年の頃に地元のスポンサーと交わした契約のおかげ
でファイトマネーの半分を持って行かれる羽目に…
 しかしボクシングをするしかないプライヤーは防衛戦を続けていく。
 防衛戦を1,2,3,4度とすべてKOに片づけたプライヤーが5度目に選
んだ挑戦者が亀田昭雄だったのだ。
 この防衛戦も6ラウンドに片づけたプライヤーはとうとうビッグマネーが稼
げる相手と試合ができることに。
 プライヤーはチャンピオンになって、すでにビッグスターになっていたレナ
ードやハーンズに対戦を求めていたが相手にされていなかったのだ。
 プライヤーは実力者だが決して人気選手ではなくカリスマ性も持ち合わせて
いなくスター選手にとってはリスクが大きいだけで実入りが少ない相手なので
敬遠されたのだった。
 しかし、当時の史上初4階級制覇を狙うアレクシス・アリュゲリョがWBC
の弱いチャンピオンではなくあえて強いプライヤーに挑んできたのだった。
 このスターボクサーを迎え、実力を世間にわからせ、ビッグマネーを手に入
れるためにプライヤーは燃えた!
 そして、リングの貴公子と呼ばれた美拳士を14ラウンドTKOで打ち破り
その名をボクシング史に刻むのであった。
 だが、この試合中にセコンドがうがいの水に、禁止物を入れ問題に。
 その疑惑を晴らすためにもプライヤーは一度の防衛を挟んで、両雄は再び激
突することに!
 この再戦も激闘になるのだが結果はまたしてもプライヤーのKO勝ち!
 最後にアリュゲリョはダウンの後三角座り(体育座り)でレフェリーのカウ
ントを聞き立ち上がることはなかった…
 この栄光の直後にプライヤーに悲劇が!
 なんと網膜剥離が発覚しWBA王座が剥奪されたのだった。
 栄光の頂点から奈落の底に落とされたプライヤーだったがアリュゲリョとの
2試合のあいだに行われた7度目の防衛戦で当時の新興団体IBFから王座を
認定されていたので、カナダに渡りIBF王座を防衛する。(アメリカでは試
合許可が下りない)
 
 しかしこの後当時の奥さんに手のひらを鉄砲で撃ち抜かれブランクを作って
しまうのだった。
 完治しIBF2度目の防衛を果たすも王座を返上、引退する。
 2年後にカンバックして7ラウンドKO負を喫する(負けはこの一つだけ)
 この時はもう完全に麻薬常習者になっていたようで、お金のためだけにリン
グに上がっていた。
 88年に1試合、90年に2試合行い完全に引退。
 コカインの販売で逮捕され半年の服役など生活は荒れまくったが、薬物
のリハビリセンターでであった白人女性とともに立ち直り結婚、キリスト教
も目覚め現在は穏やかに暮らしている。
 
 
 本当に波乱にとんだ人生ですな…
 この人は実力者ながら、ビッグマッチに恵まれず、世界チャンピオンになっ
ても日陰の存在やった。
 まぁ正直、ボクシングのビッグマッチというのは実力だけではなくスター性
もなくちゃならないのでツキだけではないんやけど、オイラ的にはレナードの
試合なんかよりは全然おもろい試合するから好きやけどな。
 でも人気って試合の面白さだけではなくスター性が必要というのが痛いほど
わかる。
 しかし、デュランがいきなりウェルターでレナードとしないでプライヤーと
Jウエルターで戦ってたらどうなってたんやろうか?
 デュランが勝ってたとしても激闘間違いなしやから、おもろい試合になるや
ろうしデュランは少しの間Jウエルターにとどまってた可能性も出てくるな。
 プライヤーが勝ってたら、ボクシング史もちょっと違ったものになってたの
かもなぁ~
 マービン・ハグラーを抜いて、プライヤー、ハーンズ、レナード、デュラン、ベニテス
で覇権が争われて行くという形になってたかも。


 家族に看取られて穏やかに逝ったのはこの波乱に満ちたボクサーの人生の最後としては幸せな亡くなり方だったといえるんではないでしょうか?

 ご冥福をお祈りします…