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”アイアン”マイク・タイソン その1

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 本名マイケル・ジェラルド・タイソン

 元 WBA,WBC,IBFヘビー級チャンピオン。

 戦績、58戦 50勝(44KO)6敗 2無効試合

 ニックネーム、アイアン、マイティー、キッド・ダイナマイト


 子供の頃は、あの甲高い声、気の弱さなどからいじめられてたというのは有名やよな。

 でも自分の飼ってた鳩を殺されてキレて、相手をたたきのして自分の肉体の強さに目覚めるのだった。

 そこからが悪行の限りを尽くし、少年院に送り込まれるんやよな。

 そこの教官がタイソンのボクシンングの才能に目をつけでカス・ダマトに紹介された。

 少年院を出た後、ダマトが保護者となりタイソンは世界ヘビー級チャンピオンへの道を走り出すのだっ

た。

 ここまでの話はまぁ有名やよな。

 カス・ダマトのところに行くようになって更正したようなイメージがあるけど実際は、ダマトのところ

に行ってからも素行はあまり変らんかったらしい・・・

 ダマトのチームはタイソンの素質にほれ込んでたんでその辺りは大目に見てたみたい。

 でも、チームの一員の妹に手を出したり(レイプしようとした?)とこの頃から女癖は悪かった。

 オイラ、基本タイソンが好きやし、悪い奴ではないと思ってたけどやっぱワルやな(笑)

 アマチュアで試合をこなし、オリンピック選考会にも出場するが、倒し屋のタイソンはアマチュア

嫌われるのか金メダリストになるヘンリー・ティルマンにポイント負けを喫っしオリンピック出場はなら

なかった。

 公式アマチュアの戦跡は52戦 47勝 5敗 

 このほか非公式戦も数多くこなしていた模様。

 1985年、18歳でプロデビュー後は、月、1,2回のハードペースで試合をこなしていく。(11

月は三回やってた)

 それも即効で試合を決めてダメージを残さなかったのと経験をつませるために勝てる相手をマッチメイ

クしていたからできる事なのだがやっぱり凄い!

 1986年3月に試合をして4月は試合をしてないが多分拳を痛めたんちゃうかな?

 5月に行なった20,21戦目の試合はいずれも判定で終わってしまう。

 21戦目の相手ミッチ・グリーンは後に酒場でタイソンに喧嘩を吹っ掛けボコボコにされてた・・・

 因縁つけて、タイソンと試合が組まれれば億という金が入るからなぁ~(結局アカンかったけど)

 調子を戻したタイソンは又KOを続け、25戦目にはジョー・フレジャーの息子マービスをKOでしと

め、28戦目にWBC王者トレバー・バービックに挑戦が決まる。

 この試合の時にバービックはタイソンが黒のトランクスをトレードマークにしてるのを知ってチャンピ

オンである自分が黒を履き、同じ黒を履くならペナルティ料金を払えてセコイ心理戦を挑んできてた。

 この試合はすさまじかった!

 バービックは倒された後、起き上がっては倒れ、起き上がっては倒れを繰返して2ラウンドKOで敗れ

るのだった。

 これで史上最年少のヘビー級チャンピオン誕生とともに世界でタイソンフィーバーが巻き起こるのだ!

 この時、ヘビー級では、統一王者を作るためのトーナメントが組まれていた。

 まさにタイソンフィーバーを巻き起こすためのお膳立てが最初から用意されていたのだ。

 WBAとの統一戦はジェームス”ボーンクラッシャー”スミス。

 この試合は、スミスの倒されまいとすりクリンチ作戦により判定の凡戦に終わってしまうがWBA王座

を獲得。

 ピンクロン・トーマスを6ラウンドTKOで切って落とし統一王座を防衛。

 そしてIBF王者、トニー・タッカーとのヘビー級王座統一トーナメント最終試合。

 またしても、タイソンは大型選手のクリンチ攻撃に苦戦し判定勝利となる。

 このがタイソンの全盛期とも言われるが、まだまだ改良の余地を残していたのも事実。

 何言うてもまだ21歳でっせ。

 お次は三団体統一王者としての防衛戦、タイレル・ビックスを7ラウンドで粉砕。

 次は、元ヘビー級王座、ラリー・ホームズがカンバックして挑戦、これを4ラウンドで倒すのだった。

 その次の試合は、東京ドームのこけら落としとして行なわれたトニー・タッブスとの試合である。

 この時は本当にタイソンフィーバーやった。

 老若男女、みんながタイソン、タイソン騒いでたわ。

 それまでボクシングなんかまるで関心なかったでろう芸能人がリングサイドで観戦したりしてたな。

 この試合はあっさり、2ラウンドで終わって物足りなさを感じさせた。

 そして、次の試合マイケル・スピンクスとの試合はマスコミが煽りまくってたなぁ~

 スピンクスは無敗で、ヘビー級トーナメントよりも金になる試合を選んで王座を剥奪されていたので

事実上の王者と思われていた。

 これぞ最強決定戦!と言われてたけどなんと1ラウンドKOで決着がついてしまうのだった・・・

 今考えると、L・ヘビー級上がりでホリーのように身体を作りこんでないスピンクスじゃ、タイソンの

パワーに耐えれるわけないやろうな~

 しかしタイソンが良かったのもここまで・・・

 女優、ロビン・ギブンスと結婚し、そこからドン・キングに取り入れられチームタイソンはバラバラに

なっていくのだった・・・

 まず、ダマトとともにタイソンに親身になって世話をしていたジム・ジェイコブスが亡くなり、キング

の入れ知恵で共同マネージャーのビル・ケイトンを解雇(ケイトンはビジネスだけの間柄だったのでタイ

ソンの信用を勝ち得てなかった)

 そしてあろう事か、ダマトのトレーナーとしての愛弟子、タイソンにとってのボクシングと私生活の

見張り番ケビン・ルーニーも解雇してしまう。

 これでタイソンの周りはタイソンに対してイエスマンしかいなくなり集落が始まるのだった・・・

 そんな状況でも今までのトレーニングの蓄積でナンとかスキルを保ち、フランク・ブルーノ、カール・

ウォリアムスをKOで切って落とした。

 専門家の間では危惧はあったもののそこまで危険視してる人もも多くはなかったと思う。

 そして、あの正規の番狂わせ、東京ドームでのジェームス”バスターー”ダグラスとの試合である。

 この試合での日本でのトレーニング中のスパーリングでタイソンがダウンしたりしてたけど、専門家は

いざ知らず一般ファンはそれほど気にしてなかったんちゃうかな?

 オイラはこの試合見逃した・・・

 オカンが起こしてくれたらしいけど「ど~せ1,2ラウンドで終わるからえぇわぁ~」って言うて又寝

たらしい・・・

 寝ぼけてタンやろうな、起きてから何で起こしてくれへんかったって文句言うたもん。

 で、結果聞いて、めちゃくちゃショックやった・・・

 いまだに自分のこと以外でこんなにショック受けたことないかも知れんぐらいにショックで数日気分

が晴れんかった・・・

 別にめちゃくちゃタイソンのファンやったわけではない。

 あの頃、タイソンは地上最強の男って普通に思われてた。

 誰も勝てん、夏が暑いというようにタイソン=最強という図式が当たり前に出来てたんやけどそれがひ

っくり返されたのだ。

 友達の家でビデオ見たらダグラスのダウンでのカウントが妙に長かったのが気になった。

 案の定後でロングカウント疑惑とか持ち上がってウダウダなってたけどタイソンが倒されたことに変り

はないのでたとえ勝敗が入れ替わってたとしてもオイラの気持ちは晴れんかったやろうな(結局変らんか

ったけど)
 
 復帰戦でアマ時代に負けた金メダリストのヘンリー・ティルマンを1ラウンドで倒し復活をアピール。

 続いてアレックス・スチュワートも1ラウンドで仕留め、復調を感じさせた。

 そして、ドノバン”レザー”ラドックとの連戦。

 一度目の試合はストップが早いとレフェリーのリャード・スティールに非難が・・・

 この試合ではラドックの”スマッシュ”が決まりタイソンがぐらつく場面も!

 この2連戦の後、タイソンに地獄が待っていた・・・

 レイプの罪で裁判→収監となり、4年を棒に振るのだ。

 このレイプ事件に関しては色々と裏があるようやな。

 タイソンははめられた可能性が高いとにらんでる。

 ただ、タイソンが女に手が早く、レイプまがいのことも実際たくさんしていたという話を後で知ってか

らは同情せんようになったけど・・・

 刑務所に収監されてる間に本を読みまくり、毛沢東、アーサー・アッシュ、チェ・ゲバラなんかのタト

ゥーを入れたりしたんやよな。

 タイソンは単純でアホやけど知能指数は低くないと思う。

 でも他から影響受けすぎ(笑)

 タイソン紹介、次に続きます・・・
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