らんぶるライフ はてな版

ボクシングの事書いてます

RING リング 改題 「黄金のバンタム」を破った男

 
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 この前、村田諒太の3試合目の後に市原隼人主演でドラマやってましたな。
 という事でドラマ見る前に読みました。
 正直、ドラマは本当にしょうもなかった…
 市原隼人、「BOX」って映画でもボクサー役やってて動きも良いんやけど細かいこと言わせてもらうと右ストレート手打ちです(笑)
 ドラマでは伊藤蘭演じる母親の闘病とかがからんできますが、もちろんドキュメントの原作にそういったお涙頂戴の事なんて書かれてません…
 この本はまず白井義男さんの事から書いてる。
 戦後のボクシング事情から説明していくんやけど、改題名の「黄金のバンタムを破った男」だとファイティング原田の事だけ書いてるような印象を受けるが結構事細かに当時のボクサーを説明していく。
 矢尾板、三迫、関、米倉などの名選手にも十分すぎるほどに説明がなされている。
 
 まずは
 第一章 日本ボクシングの夜明け
 
 ファイティング原田の事を書く前に日本ボクシングの当時の状況を説明しなくてはならない。
 戦前ピストン堀口が活躍し戦中、ボクシングは衰退し戦後、復興とともにボクシングは復活しそして日本人初の世界王者”白井義男”さんの登場!
 白井さんの事はこの章を使って師匠であるカーン博士の事も含めて詳しく説明、白井がパスカル・ペレスに負けて引退するまでをしっかり書いて、当時のボクシング事情を読者にわからせる。
 
 第二章 ホープたちの季節
 
 白井義男が世界王者ではなくなってからの日本ボクシング界の悲願、世界タイトルを取り戻せを合言葉に挑戦し続ける。
 原田が入門したジムには後のコメディアンたこ八郎となる斉藤清作いたり、同期の新人王にのちの世界王者海老原博幸、のちの東洋王者、青木勝利、などのホープがいたボクシングにとっての豊作の時期であった。
 そして原田らが登場してくるまでの日本人ホープも紹介。
 まず、白井がとられたタイトルをパスカル・ペレスから奪い返すために白羽の矢が立ったのが現三迫ジム会長である当時の東洋王者、三迫仁志。
 マネージャーである野口進も三迫を世界挑戦者に仕立てるためにペレスのマネージャーと交渉を続けるが結局実現には至らなかった…
 その三迫に勝って一躍ホープとなったのが現ボクシング解説者の矢尾板貞雄。
 一度はノンタイトルでペレスに勝った矢尾板だったが次の挑戦者として選ばれたのは現ヨネクラジム会長である米倉健志だった。
 米倉はペレスに判定で敗れとうとう矢尾板とペレスは対戦することになるが、矢尾板は日本の期待を一斉に受けながら再戦では13ラウンドに敗れてしまうのだった…
 そのにっくきペレスも黄昏時を迎えタイの貴公子ポーン・キングビッチに敗れ王座滑落再戦にも敗れ引退するのだった。
 
 第三章 切り札の決断
 
 ポーンにまず挑戦に名乗りおあげたのが眠狂四郎の異名をとる関光徳!
 しかし減量苦ありこの挑戦は失敗に終わる…
 この後、関はフェザー級に体重を上げ東洋王座を獲りメキシコの鷹ビセンテ・サルディバルと大善戦を行い伝説となるが日本人悲願の世界タイトルを奪う事は出来なかった…
 関の後にポーン挑戦に名乗りを上げたのが三迫を育てた野口進の息子、野口恭。
 しかし息子、恭も善戦むなしくタイトルには届かなかった…
 白井がタイトルを奪われてから8年もの月日が流れていた…
 しかしペレスには敗れたものの日本には切り札と目されていた矢尾板が残っている。
 ペレスに初挑戦した時は前戦で勝っている自信と2ラウンドに奪ったダウンによる陣営の過信が裏目に出てタイトルを奪えなかったが実力は日本屈指、日本国民は最後の切り札として矢尾板に期待を寄せていた。
 ペレスに負けた後も精力的に試合をこなし海外遠征でタイ、フィリピンはおろか南米ベネズエラやブラジルにも遠征し腕を磨き続けた。
 この時に黄金のバンタムエデル・ジョフレとも対戦している(10R、KO負け)。
 長らく世界フライ級1位にいた矢尾板だがバンタム級1位の無冠の帝王ジョー・メデルとも対戦(判定負け)。
 そんな矢尾板にとうとう世界再挑戦の機会が与えられることに。
 ポーン・キングビッチの4度目の防衛戦の相手に選ばれたのだった!
 日本の切り札矢尾板の満を持しての登場に日本中のファンは期待を寄せた!
 しかし、世界戦を控えた矢尾板は突如引退、日本ボクシング界は大騒ぎに…
 いろいろと憶測が飛び交ったが与板は黙して語らず真相は謎のままになった。
 この本はその時のことをインタビューし矢尾板の本音を聞きだしているところに価値はある。(大方の予想通りですが)
 まぁ所属ジムの会長との確執なわけですがそのあたり詳しく書かれてるので知りたい人は読んでみると良いですな。
 そして中に浮いた世界タイトルマッチの対戦相手に選ばれたのがこの本の主人公ファイティング原田だったというわけです!
 
 第四章 スーパースター
 
 矢尾板のピンチヒッターとして選ばれたファイティング原田、当時19歳の若手ボクサーは全日本新人王に輝いたホープであったが世界ランクはおろか日本タイトルも持っていなかった。
 そしてその年のにバンタム級転向の試合を行い初黒星を喫したばかりだったのだ…(その後再起戦で判定勝ち)
 まぁこの敗北が原田に幸運をもたらすのだが。(勝っていたらバンタム級世界ランカーになっていたので多分チャンスは海老原に回っていたはず)
 現在でも日本、東洋王者になっていない挑戦者や世界タイトル戦の前の試合で負けている選手、日本での挑戦認可が受けれなくて海外で挑戦する選手など多いのだがファイティング原田はそう選手のはしりだったというわけである。
 WBAにもなめられてポーンが勝っても防衛回数に入れてはいけないという通告まで出されていたらしい…
 試合が決まり世間を見返すつもりで(日本でも全く期待されていなかった)必死に練習する原田。
 完全に原田をなめて来日したポーンは空港でポーンを迎えた原田野握手を無視、原田はこれに怒りを感じ俄然やる気を出すのだった。
 正直、現在では空港に世界王者を迎えに行くこともなければ記者会見で無視することなんてごくごく普通、逆に握手を求める選手の方が奇異に観られることだってあり得るのも時代の違いでしょうか?
 そして試合、原田はアメリカのプレス二「狂った風車」となずけられたラッシュを敢行、見事ポーンからやる気をそいで11ラウンドKO勝ちで日本人二人目の世界王者になるのだった!
 負け役とみられていた若者が一躍ヒーローに!
 しかしこの試合、原田が勝った場合は即座のリターンマッチ契約がなされていた…
 現在では即座のリターンマッチは基本的に禁止(場合によっては承認団体が許可もしくは指令を出す場合もあり)だがこの当時はこういう事は多かった。
 リターンマッチは敵地バンコク
 このリターンマッチでは色々と妨害工作、嫌がらせ、等を受け試合の判定も盗まれたという感じで原田は世界タイトルぼ遺影に失敗王座滑落し日本からはまたもや世界タイトルは無くなってしまうのだった。
 
 第五章 フライ級三羽烏 
 
 この章の初めには古代ローマに誕生した頃から近代ボクシングの発祥、グローブ着用のクイーンズベリールールの執行などのボクシングの歴史が語られる。
 そして、昭和のボクシングブームを支えたフライ級三羽烏について語られる。
 ファイティング原田海老原博幸、青木勝利の三人である。
 この三人の中で実績で飛びぬけているのはやはり日本人唯一ボクシング殿堂に名前を貫く原田でしょう。
 その次は二度世界王者に輝いた海老原博幸
 しかし一番才能があったとされるのがメガトンパンチ青木勝利だった。
 そんな三人のライバル関係にスポットをあてる。
 オイラはやっぱり世界王者になれなかったけど破天荒な人生送った青木勝利が一番気になります。
 現在生死も定かでないという事ですが…
 青木は黄金ばんたむジョフレに挑戦して倒されるが再起、しかし原田とのライバル対決で敗れ一線から遠のくのであった…
 
 第六章 黄金のバンタム
 
 エデル・ジョフレ、前にもこの人の紹介記事を書いた時にも描いたがこの黄金のバンタムと言う言葉はバンタム級が黄金の階級と言う風に思ってる人もいるが違います、エデル・ジョフレ個人に与えられた尊称です。
 ジョフレはいまだにバンタム級最強と言う評価がなされるぐらいのボクサー。
 そんな超人に挑む原田…
 しかしジョフレは原田をなめていたのであろう、防衛戦で日本に来日した時に夫人と子供も同伴してきたのだ。
 それでもやはり黄金のバンタム、試合はやはり力強かったがしかし地の利、相手の油断、それ以上に原田の頑張りが功を奏して見事原田は初の黒星をジョフレになすりつけるのだった。
 
 第七章 マルスが去った  
  
 黄金のバンタムを破った原田だが、戦いが終わったわけではない。
 まずはノンタイトルで日本人斉藤勝男を行いダウンを奪いかろうじで判定勝ち。
 そして初防衛戦は4位のアラン・ラドキンと戦う事に。
 この試合もいっぱい、いっぱいの内容で判定勝ち…
 そしてフェザー級でのノンタイトルを行った後2度目の防衛戦としてジョフレとの再戦が行われることに。
 今回のジョフレは本気も本気、気合十分で来日。
 再戦もかなりの激闘になったがまたしても原田の判定勝利となる。
 試合後の記者会見でジョフレは「マルスギリシャの闘いの神)が去った」と語り敗北を受け入れるのだった…
 一度引退したジョフレだがその後カンバックフェザー級で王者に返り咲き、初防衛戦ではメキシコの鷹、ビセンテ・サルジバルを4ラウンドでKOし引導を渡した。
 このタイトルは期限内に防衛戦をしなかったことではく奪され又引退するが二年後さらにカンバックして7連勝、タイトルマッチが見えてきた矢先に父が亡くなり傷心、グローブを完全に置く決心をつけるのだった…
 
 第八章 チャンピオンの苦しみ
 
 ジョフレに勝った後、フェザー級ランカーとノンタイトルを行い辛勝、フェザー級進出に不安を残す結果となった…
 そして3度目の防衛戦は一度敗れた”ロープ際の魔術師”ジョー・メデル!
 メデルはジョフレに挑戦して敗れているがジョフレが最も苦戦した相手でも有った…
 一度ノックアウトされた相手に挑むというのは勇気がいることだが、トラウマを超え原田はこの無冠の帝王とリングで対峙する。
 この強豪のカウンターで眠らされた前戦を踏まえ激突、大差判定で勝利をものにする原田だった
 4度目の防衛をベルナルド・カラバロと行い判定勝利、V4となる。
 5度目の防衛戦はライオネル・ローズ。
 5度目は白井義男も負けた日本人にとっては鬼門、この試合はダウンを奪われ判定負けを喫し、世界タイトルを奪わるのだった。
 そしてすぐにフェザー級に階級を上げることを発表。
 
 第九章 「十年」という覚悟
 
 原田はバンタム級のタイトルを失ったがまるでやめるつもりはなかった。
 16歳でボクシングの世界に入り10年やると決めていたからだそう。
 フェザー級で再起をすることにしていたが、バンタム級時代からフェザー級ノンタイトルの試合してなかなか苦戦を強いられていた…
 バンタム級でもハードパンチャーと言うわけではない原田のンパンチがフェザーで通用するか?
 まずはフェザー級世界ランカーとの試合が組まれる。
 現在では元王者が転級したらすぐにでもランキング入りするのだがこの当時はそれほど甘くないのだ…
 ダウンを奪われながらも判定で勝利した原田は世界ランク入り。
 日本、フィリピンのフェザー級ランカーを倒しフェザー級での実績を積む原田。
 当時、WBCが独自の王者を認定しだしたために一階級に二人の王者がいる状態になっていた。
 当時は西城正三WBA王者だったので日本人同士の対決が盛り上がったのだが、この試合は結局実現せずに原田はWBC王者に挑戦することに。
 当時JBCWBCをみとめていなかったのだが、ファイティング原田の名前で押し切りに成功、なし崩しの形でWBCは日本でも認可されることになった。
 そしてオーストラリアのWBC王者ジョニー・ファメッションに挑戦が決まる。
 相手の地元でジャッジをおかずにレフェリー一人で採点するというルールで争われたこのタイトルマッチは最悪のジャッジが下された…
 元フェザー級王者のウィーリー・ヘップが裁いたのだが、2R,11R、14R に原田がダウンを奪って優勢に進め(原田も5Rにダウン)14Rのダウンはペップが立ち上がれないようなダメージを負っているのにレフェリーが無理に立たせて試合を再開させるという暴挙に…
 15ラウンドを逃げ切ったファメッションは防衛を果たすことに…
 この試合の内容にWBCが問題視し再戦が決定。
 今度は東京で行われることに。
 第一戦を有利に進めた原田が今度は勝つだろうと思われたこの再戦、しかし原田の調子が上がらない…
 14ラウンド、ロープから叩き出されテンカウントを聞かされるのだった…
 激しい闘いと減量は年齢以上に原田を消耗させていたのか?
 第一戦からのわずかの間に原田はボクサーとしての輝きを奪い取られてしまっていたのだった…
 
 この試合を最後にファイティング原田は引退するのだった。
                                       (完)
 
 この本の作者、百田尚樹は今や超売れっ子のベストセラー作家ですな。
 アマゾンのレビュー読んでもこの本評価は高かった。
 戦後からのボクシングの歴史を細かく説明してボクシング情報に疎い人には良い資料的な役目を果たす本だとは思いました。
 でもこれを読んで心揺さぶられるとか泣くなんて言う本ではありませんでしたが…
 ファイティング原田と言う人間を魅力的に描くというよりも事実を情報と言う形で書き綴ってる部分がドキュメントと言うよりも事実の羅列って印象に感じてしまうのだ。
 作者の思いが伝わるのは現在の世界王者の価値と原田の頃の世界王者の思いの部分ぐらいかな?
 まぁそれでもボクシングファンにはある程度楽しめる内容となってます。