”黄金のバンタム”エデル・ジョフレ
ファイティング原田がなぜ世界的に評価されてるか?
それはこのエデル・ジョフレに勝ってるからコレにつきる!
この人はいまだに歴代バンタム級グレートでも、1、2を争う高評価を得てるのだ。
だから原田を紹介したらこの人も紹介せんとアカンよな。
黄金のバンタムって言う言葉がよく使われてるけど本来の意味はバンタム級が黄金の階級って意味ではなくこの人のニックネームなのだ。
ガロ・デ・オロというのはそのまま黄金(オロ)のバンタム(ガロ)のこと。
戦績 78戦 72勝(50KO)2敗 4分 ブラジル
デビューの年は毎月試合して10勝2分、6KOと好調な滑り出し。
次の年も1分をはさんで連勝を続ける。
初防衛もミランダとの対戦になったがコレを3ラウンドTKOで下し初防衛。
チャンピオンのジョー・ベセラの引退に伴いエロイ・サンチェスとのバンタム級王座決定戦出場のチャンスを得る。
この試合を6ラウンドKOで終わらせ黄金のバンタム伝説が幕を開ける!
戴冠後初の試合はノンタイトルで相手を2ラウンドで切って落とす。
初防衛はイタリアのピエロ・ロロを10ラウンドTKOで沈める。
2度目の防衛までにシュガー・レイ(オランダ)を2ラウンドで倒し、日本の矢尾板貞夫を10ラウンドでKO。
フェルナンド・ソト(米国)を8ラウンドで倒しノンタイトル戦を軽くこなした後、ジョニー・コールドウェル(英国)と対戦。
この試合はIBUバンタム級との統一戦も兼ねた防衛戦になった。
この試合を10ラウンドKOで終わらせたジョフレは唯一無二のバンタム級王者として君臨。
4度目の防衛戦でハーマン・マルケス(米国)を10ラウンド、5度目は無冠の帝王、ホセ・メデル(メキシコ)を6ラウンド、6度目は東洋バンタム級チャンピオン、メガトンパンチ青木勝利を敵地日本で3ラウンド、ボディーで悶絶させ、7度目にジョニー・ハメト(比国)を12ラウンド、8度目をベルナルド・カラバリョ(コロンビア)相手に7ラウンドKOと矢継ぎ早に防衛戦をこなしていくのだった。
そして向かえた9度目の防衛戦、一度来て嫌がらせやアンフェアなこがないとわかっていたであろう日本にあろう事か妻と子供を同伴させて来日。
完全に油断していたのだろう、ファイティング原田に2-1の判定で王座を奪われてしまうのだった・・・
即、再起するものの調子が上がらないのかマニー・エリアス(米国)にドローを演じてしまうも原田との再戦に。
またしても日本で接戦の末、判定負けを喫してしまうのだった・・・
ジョフレにとって原田は鬼門だったのか?
原田との相性もあるだろうがジョフレの衰えも考慮に入れたほうが良さそう・・・
ここで一度グローブを吊るすものの3年後にカンバック、ゆったりとした試合間隔で
試合をこなしていく。
徐々に調子を上げてカンンバックから4年目、WBCフェザー級王者ホセ・レグラに挑戦の機会を得、コレを判定で下し2階級性はを成し遂げるのだった。
この時、ジョフレは37歳だった!
サルジバルも黄昏時だったとはいえジョフレよりも7歳年下。
この英雄を4ラウンドで倒し、引退に追い込むのだった。
この後、防衛戦をこなさなかったのでWBCフェザー級タイトルは剥奪されるのだが、その後もチョコチョコ試合を続け2年後にグローブを吊るすまで負けることはなかった。
そうこの黄金のバンタムに黒星をなすりつけたのはファイティング原田だけなのだ。
それが悔しいのか、原田が引退した後も再戦やエキジビジョンでの対決を申し込んでいたのだが勝ち逃げしたいのか太りすぎて体が動かないのか原田はOKしないまま現在に至るのであった・・・