米倉健志
自伝、「リングの虫」を紹介したので米倉会長の選手としてのプロフィールを。
本名 健治、現在の表記は健司、ボクサー時代が健志だそうです。
戦績 24戦 13勝(1KO) 10敗 1分
メルボルンオリンピックに出場。
日興ジムからプロに転向、プロ初のリングは当時の世界ランカー矢尾板貞雄とのエキジビジョンマッチ。
正式なデビューは木村七郎に4ラウンド終了TKO勝ちとなる。
3戦目に矢尾板と本番10回戦を行うも判定負け。
1試合挟んで5戦目に福本篤人の持つ日本フライ級タイトルに挑戦、これに勝利し日本王者に。
再起戦は当時の日本バンタム級王者石橋広次と戦い6ラウンドノーデシションンとなる。
8戦目にパスカル・ペレスとタイトルをかけて対戦、判定負けで王座獲得ならず…
世界挑戦の時期調整のために3試合日本人相手にエキジビジョンン試合を続け、 東洋獲得から5カ月後に12戦目でホセ・ベセラの持つ世界バンタム級王座に挑戦、これも判定負けに終わる…
しかし次の試合でメキシコ選手に判定負けと調子が上がらない…(実際片目はほとんど見えなかったはず)
エキジビジョンを2つ挟んでタイ人と東洋タイトル防衛戦を行い判定勝ちで2度目の防衛。
しかし、その後メキシコ人に3連敗…
19戦目にフィリピン人と東洋タイトルを行い判定勝ちし久しぶりの勝利とともに東洋王座3度目の防衛。
21戦目にフィリピン人相手に4度目の防衛を判定でおさめ、その後ノンタイトルでフィリピン人2人に判定勝ち。
これでグローブを置くのだった…
こうしてキャリアをたどるとオリンピック代表、後一歩で初の日本人メダリストとなるようなエリートだったせいで過酷なマッチメイクが多くそのせいで黒星を増やしという印象ですな…
この時代からアマエリートには最短世界奪取を狙わせるという風潮がもうあったという事。
自分が苦労したのに米倉会長は大橋会長をキャリアの少ないうちに強豪とぶつけたりしてたけど本当に信頼してたからやったんやろうなぁ。(まぁ失敗したけど)
後、驚きなのがKOが一つというのもある意味驚きです…
マァ昔は今ほどストップもはやくないからというのもあるんやろうけど。