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IBF初代バンタム級王者 新垣諭

 

IBF歴代王者も世界王者承認へ…JBC加盟発表

 
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ダリル・ピープルズIBF会長(右)からマスコットベルトを渡された林有厚コミッショナー(左は大橋秀行会長)
 日本ボクシングコミッションJBC)は21日、都内で会見し、4月1日付で国際ボクシング連盟(IBF)に加盟すると発表した。既に世界ボクシング機構(WBO)への加盟も決めており、JBCのライセンスを持つプロボクサーは4月以降、国内で従来のWBA、WBCに加えて計4団体の世界タイトルマッチ出場が可能。来日したIBFのダリル・ピープルズ会長(46)は「日本には才能あふれる選手が多いので、チャンスを与えていきたい」と歓迎した。

 正式加盟直前の今月30日(日本時間31日)に、元WBC世界ミニマム級王者の高山勝成(29)がメキシコでIBF同級王者マリオ・ロドリゲス(メキシコ)に挑戦する。4年前にJBCに引退届を出している高山に関し、JBCの秋山弘志専務理事(74)は「高山側からライセンス申請があった場合に協議する」と述べた。JBC非公認の1984年に日本人初のIBF世界王座(バンタム級)を獲得した新垣諭氏(49)についても、本人から申請があれば、日本の歴代世界王者に加えることを検討していくという。

 

  とうとう4団体の時代の到来です!
 ということで、今まで日本人世界王者として認められていなかった新垣諭JBC公認の世界王者として認められることになりました。
 まぁそっちが申請したらっていうJBCの上からの態度がちょっと気にいりませんが…
 高山くんはどうするのかな?
 
 では、「誰も知らない世界チャンピオン」by立松和平の紹介を! 
  
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                      新垣諭(しんがきさとし)
                   元IBFバンタム級チャンピオン
                 戦績 16戦 12勝(9KO) 3敗 1分
 
 沖縄水産高校のボクシング部に所属しインターハイ、ライト・フライ級で優勝。
 (優勝決定戦はのちのWBAフライ級王者、レパード玉熊
 契約金1千万円で奈良池田ジムと契約。
 1,2戦は日本人と対戦し勝利、3,4戦はフィリピン人と対戦し勝利と順調な滑り出し。
 5戦目の相手は、具志堅のタイトルに挑戦し(判定負け)ノンタイトルで渡嘉敷に判定負け、友利正に判定勝ちを収めた事のある元OPBF,Lフライ級王者、金龍鉉と対戦し引き分る。
 
 ここまで1,2カ月おきに試合をしていたがここで試合間隔が少し空いてる。
 ウィキペディアには奈良池田ジムがIBFに加盟した理由はWBA、Lフライ級タイトルに挑戦が決まっていたのに渡嘉敷とルペ・マデラ の間でダイレクトの再戦を3回続けられたので業を煮やしてIBFに移ったというような書き方がされてましたが、確かに世界タイトルを同じ相手同士で3回も連続するというのは異常ですが、だからと言ってJBC脱退するのもどうかと思うが…
 だいたい、JBCよりWBAが悪いんちゃうの?
 まぁ当時の事情は良くわかりませんが…
 
 そして、6戦目にドディ・ボーイ・ペニャロサ(ジェリー・ペニャロサの兄)と初代IBF、ジュニア・フライ級王座決定戦に出場することになるのだった。
 しかしこの試合は12ラウンドTKOで敗れ王座獲得ならず…
 この試合の後は入院するほどのダメージを負ったのだった。
 無理な減量がたたったのか階級をいきなり3階級あげ、バンタム級で再起し、フィリピン人をノックアウト!
 そして、8戦目でエルマー・マガラーノと初代IBFバンタム級王者決定戦を争い8ラウンドTKOで勝利し、初代王者となるのだった。
 2カ月後にノンタイトルをフィリピン人相手にこなし7ラウンドKOで勝利した後、その2カ月後にIBFバンタム級の初防衛をホーベス・デラブースと戦いこれに判定勝利しV1に成功。
 1カ月後にノンタイトル戦を11ラウンドで片づける。
 コンスタントに試合をこなしていた新垣だったが二度目の防衛戦までは半年以上もの感覚が空いている。
 その二度目の防衛戦はのちの3階級制覇王者、ジェフ・フェネック
 この強豪を相手に9ラウンドKOで敗れ、王座滑落…
 3か月後にダイレクトの再戦を挑むものの3ラウンド終了TKOで返り討ちに合うのだった…
 しかし二カ月後には川島志伸(川島郭志の兄)とIBF日本Jバンタム級タイトル決定戦を行い5ラウンドKOでIBF日本王座獲得。
 15戦目にノンタイトル戦を2ラウンドKOで終わらせ、ロメロ・オプリサナとIBFインターコンチネンタル、Jバンタム級王座を争いこれに勝利。
 最後に日本人選手とノンタイトル戦をして引退するのだった…
 
 こうして新垣諭のキャリアを振り返ると本当の実力はどうだったのかと疑問が残る…
 金龍鉉とは引き分け、ドディ・ボーイ・ペニャロサ、ジェフ・フェネックには負けてるから本当の実力者には勝ってないような気もする…
 でも、決して弱かったわけでは無いと思う。
 やはり、所属ジムが日本IBFに参加してしまった事により波乱のボクサー人世を送らなければいけなくなってしまったのだ…
 プロに入る際、1千万円の契約金をもらうほどやからセンスはあったんやろうけど、そのセンスもっとまっとうな所で披露してほしかったという気持ちがある。
 世界王者になれなくても後楽園で熱戦を繰り広げた日本王者たちは世間的に無名でもボクシングマニアの中では伝説になってる人もたくさんいる。
 でも新垣諭はそのボクシングファンさえあまり話題にしないボクシング裏街道を歩いてきた…
 誰も知らない世界チャンピオンとは作家の立松和平さんが新垣諭の事を書いた文章の題名だが、世界王者になる目的ってお金、強さ、そして有名になることが基本的な事と思う。
 お金は契約金の1千万円を払うような会長やったからそれなりにもらえてたかもしれんけど人気選手になってのCM料、引退した後の講演代、世界王者の教えるボクシングジムというような付加価値的なもうけは知名度がないんでないと思う…
 強さも実力者には勝てず終いだったんで証明することも出来んかった…
 有名になって騒がれることなく終わったボクサー人世、でもリングで燃え尽きれてたんならそれはそれで幸せだったのかもしれんけど実際どうやったんやろうな…