らんぶるライフ はてな版

ボクシングの事書いてます

大橋秀行

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大橋会長の新聞記事を記事にしたので…
 大橋秀行(ヨネクラ)(現大橋ジム会長)
 キャッチフレーズ150年に一人の天才、フェニックス
 戦積 24戦 19勝(12KO)5敗
 兄、克行もボクサー(日本ランカー)
 大学1年生の時にLA五輪代表決定戦を兼ねた全日本選手権で敗れ大学中退を
しプロに転向。
 米倉会長に具志堅を越える逸材として150年に一人の天才というキャッチフ
レーズをつけられ大々的に売り出される。
 デビュー5戦目で後のストロー級チャンピオン金 奉準(キム・ポンジュン)
に敗れてしまうが6戦目に当時の日本チャンピオン野島嘉章に挑戦し獲得。
 一度も防衛しないまま返上し当時のWBCライトフライ級チャンピオン、世界
タイトル15度の防衛をした(大橋の防衛戦は11度目)”韓国の鷹”張 正九
(チャン・ジュンク)に韓国で挑戦し5ラウンドKO敗れる。
 再起し2連勝した後、当時の日本王者、喜友名朝博に挑戦、これを判定に下し
日本タイトル再戴冠。
 この試合は事実上の世界タイトル挑戦者決定戦である。(防衛せずに返上)
 今度は日本で、張 正九に再び挑む。
 3ラウンド、ダウンを奪われながらも王者の顎にクリーンヒットを叩き込みぐ
らつかせチャンスを作るも追撃及ばず8ラウンドTKOに。
 この試合は計7度のダウンを奪われるのであった…
 チャンピオンはこの15度目の防衛後王座を返上。
 大橋は再起しすべての対戦相手をKOで下し一階級落としたストロー級(現ミ
ニマム級)でWBC王者、崔 漸煥(チェ・ジュファン)に挑む。
 この時は日本のジム所属の選手の世界挑戦連敗記録が21にまで伸び、日本人
世界チャンピオンがいないという日本ボクシング界冬の時代だった。
 そこで大橋は最後の木札として登場、王者を9ラウンドボディーブローで仕留
め晴れて王者に!
 この時は後楽園ホールはお祭り騒ぎになったらしいなぁ~
 チャンピオンになっときはテレビに引っ張りだこやった。
 その時は「引退したら花屋さんになる」って言うてたんやけどな~(笑)
 初防衛戦は元王者、ナパ・キャットワンチャイ。
 ダウンは奪ったもののKOは出来なかったが初防衛に成功。
 しか~し!2度目の防衛戦に選んだ相手が悪かった…
 生涯(アマも)無敗を通した今や伝説のチャンプ、「はじめの一歩」のリカル
ド・マルチネスのモデルにもなってるリカルド”フィニート”ロペス。
 対戦相手が発表されて戦績を見た時なんでこんな強い奴選んだと思ったもんで
ある。
 まぁオプション契約とかあったのかかもな(確かロペスは1位の指名挑戦者で
はなかった)
 
 この時、大橋の良いパンチが序盤に当たりロペスをびっくりさせたらしいが逆
に其れが裏目に出たのかも…
 カウンター狙いで手を出さない大橋にいらだって解説席のガッツが
 「大橋,手を出せぇ~」 って叫んだんやよな~(笑)
 結局ボコボコにされて5ラウンドTKOで王座滑落したのであった…
 再起後は4勝(3KO)と調子を上げ、今度はWBA王者、崔 煕土庸(チ
ェ・ヒヨン)への挑戦が決まる。
 この試合は、オイラは負けたと思ったんやけど判定勝ちで再戴冠。
 WBC,WBA両方のベルトを持ったことになる。
 この試合の時、大橋会長のおでこは腫れあがって凄いことになってたんやよな
 初防衛戦は、ロペスと比べたらかなり落ちるけどこれもかなりの強豪だったチ
ャナ・ポーオイン。 
 判定で、王座滑落、引退するのだった。
 チャナは王座獲得後、この王座を8度防衛することになるのだ。
 
 
 オイラは正直、大橋会長の待ちのボクシングは見ててイライラするので好きじ
ゃなかったけど人気も実力もあった名選手。
 初戴冠の時は女優の秋吉久美子後楽園ホールに観戦に来ていたのだった。
 
 平成のボクシングブームはこの人の戴冠から始まったと言っても過言ではない
でしょう。(引っ張ったのは辰吉、鬼塚やけど)
 こういう起爆剤的なボクサーが現れて再ブームになってほしいんやけどなぁ~