安藤謙三
今回はアクティブディの記事に登場した安藤謙三の紹介を。
です・・・
第40回 全日本Jフライ級 新人王 元東洋ランカー
戦績 20戦 15勝(4KO) 5敗
デビュー戦を判定で飾るも同じ相手と2戦目を行い、1ラウンドKO負け。
KO負けはこの試合のみ。
このKOには少し理由はある。
相手の村崎伸雄は、この後日本ランカーになりレゲェボクサーとして(髪型をドレッドにしてた)関西
ローカルで人気を博したハードパンチャーなのだが、1ラウンド油断からか良いパンチを貰いダウン!
そのときに足をくじいてしまったのだ。
ただ、大場政夫のチャチャイ・チオノイ戦のように長丁場ではない4回戦。
安藤はダウンから立ち上がって、カウント中にロープをつかんで、足首をストレッチングしていた。
これが印象悪かった、ダメージがあるようにしか見えなかったのだ・・・
当時、セコンドの手伝いをして間近で見ていたオイラは足の捻挫を知らなかったので効いてると思っ
てたわ。
再開後もたついて連打され、すぐさまストップされたのだった・・・
まぁ仕方ないといえば仕方ないんやけど。
しかし、その後は順調にキャリアを伸ばす。
ン越本隆志がいる。
オイラは安藤が全日本新人王取った時には日本にはいなかったんで見てませんが・・・
一戦挟んだ後、西軍代表決定戦で勝った、安部悟と再戦、これを判定で落としてしまう。
{安部会長のことはボクシング的読書の書庫の上げ底挑戦者に詳しく書いてます。}
しかし、次の試合は唯一のKO負けをした村崎伸雄とラバーマッチ。
これを判定で下し決着をつけるのであった。
プルンチットとの試合のセミファイナルで当時の世界ランカー、シン・ソー・プルンチットと戦い判定負
け。
この選手はめちゃくちゃうまかったらしい。
再起2戦を挟んで、Gツダジムの塩浜崇が返上した日本Jフライ級タイトル決定戦を後のWBASフラ
この試合はなぜか広島で行なわれた。
広島まで応援に行ったんやよなぁ~。
広島焼きを食べて、原爆ドームも見たで。←観光やんけ!
残念ながらこれは判定負けでタイトル獲得ならず・・・
再起戦を2Rで終わらせ、Gツダジムの大興行、5大タイトルマッチの興行で東洋タイトル挑戦が決ま
る。
今でこそ、複数タイトルマッチは珍しくもないけど一つの興行でに5つのタイトルマッチを行なうのは
日本初だった。(これ以後あったかは知りませんが)
本Jフライ級、そして安藤の東洋Jフライ級タイトルマッチだった。(表記は当時のままで)
しかしここでも安藤はついてなかったんやよな・・・
対戦相手が後のWBC、ライト・フライ級王者、崔 堯三(チェ・ヨサム)だったのだ。
このタイトルマッチを判定で落とし、安藤はグローブを壁に吊るすのであった。
ボクシングキャリアでタイトルマッチ2回できるというのは、努力、実力、運、色々必要である。
グリーンツダジムという当時物凄く勢いのあったジムにいたおかげでタイトルマッチが出来たという見
方も出来る。(弱小ジムだと実力があっても中々タイトルマッチが組んでもらえなかったりする)
それも両タイトルマッチともに決定戦だったから挑戦よりもプレッシャーも少ないし。
しかし相手が悪かった・・・
日本、東洋、二回のタイトルマッチの相手が後の世界チャンピオンだったと言うのはあまりにもついて
ないやろ。
チャンピオンベルトを巻くのと巻かないのでは知名度で大きく差が出る
まぁタイトル取ってなくてすごい名前が知れ渡った川崎タツキ、大嶋宏成、福田健吾何て例外中の例外
やな。
他の相手だったら確実にチャンピオンになれたとは言わないけどついてないよな・・・
まぁそれほどの実力者とグローブを交えたというのは素晴らしいことではあるんやけど、ボクシングっ
てベルト巻いてナンボってところがあるのも事実・・・。(ジムを起こす場合でも優遇の差がある)
そんな安藤謙三という男とはもうかれこれ20年以上の付き合いである。
オイラと同じ学年でオイラがプロになるかならんかぐらいにジムの寮生としてジムに入門してきた。
オイラは合宿生ではなかったが試合前はほとんど寮に泊まりこんで合宿生と一緒に走ってたんでよくつ
るんでたもんである。(二人でよく銭湯めぐりをしてた)
安藤は、酔っ払うと裸になったり、ベロベロになるんで下戸のオイラとしては面倒なのだがこれも腐れ
縁ですな(笑)
浜辺で対決する安藤とフェルナンド・バルガス!