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ボクシングの事書いてます

白井義男

 本日は、”ボクシングの日”である!

 これは、ボクシング協会が定めた日かなんかでカレンダーにも載ってないのかな・・・

 なぜこの日かというと、昭和27年5月19日に日本人初の世界王者が誕生した日であるからである。

 と言うことで、その日本人初の世界王者、故白井義男さんの経歴を。

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 元、世界フライ級チャンピオン  

 戦績  58戦 48勝(20KO) 8敗 2分 10EX

     世界フライ級王座4度の防衛

 白井氏は、戦前にデビュー、7戦、7勝(6KO)の好戦績を残すも、戦争に出兵し、ボクシングを中

段。

 戦後に再デビューを果たすが、戦争のため、栄養失調になりそれが原因で腰を痛め調子を落としてい

た。

 そんなときに占領軍のカーン博士とジムで出会い、気に入られる。

 カーン博士は白井氏の右ストレートにほれ込んだのだ。

 カーン博士に見出され、アメリカ軍の豊富は食料を与えられて、しっかり栄養を取った白井氏は腰痛も

完治しメキメキとその才能を発揮しだす。

 花田陽一郎を破り日本フライ級タイトルを獲得。

 初防衛の後は、堀口宏の持つ日本バンタム級に挑戦、これを判定に下し日本タイトル2階級制覇を達

成。

 このタイトルは同時に保持しながら防衛を続けた。(現在はどちらかを返上しなければいけないと思

う)

  日本バンタム級のタイトルは三度目の防衛戦で反則負けにされ失ってしまうが、その次の試合で当時

の世界チャンピオンダド・マリノとノンタイトルで戦うことに。

 この試合は、判定負けをしてしまうが、なかなかの接戦で逆に自信になった模様。

 そして、奪われたバンタム級タイトルを再戦で奪い返した後、日本フライ級の3度目の防衛もこなす。

 その後、ハワイ遠征で、ダド・マリノと再戦、これを7ラウンドTKOでやぶるのだった。

 そして、日本バンタム級タイトルの防衛戦とノンタイトルをはさみ、念願の世界タイトルマッチが実現

するのだ!

 当時は、日本ボクシング界にコミッションが無くこの試合のために急遽日本ボクシングコミッション

設立されたらしい。

 そして、ダド・マリノとの三度目の対戦で判定勝ちし晴れて世界フライ級チャンピオンとなるのであ

った。

 ノンタイトルを二つはさみ、ダド・マリノとの四度目の対戦を判定で制しタイトル初防衛。

 エキジビジョン(EX)と、ノンタイトルをはさみ、タニー・カンポの挑戦を退け、二度目の防衛。

 ノンタイトル、EXの後、ノンタイトル戦でレオ・エスピノサにまさかの7ラウンドTKO負けを喫す

るもその次の試合で、テリー・アレンに判定勝ちし、世界タイトル三度目の防衛。

 ノンタイトルをはさみ今度はタイトルをかけてレオ・エスピノサと対戦し、苦戦を強いられるも何とか

判定で勝利し、防衛記録を4に伸ばす。

 そして、ノンタイトルパスカル・ペレスと引き分けた後、ノンタイトル、エキジビジョンをはさんで

パスカル・ペレスとタイトルをかけて再戦。

 これを判定で落とし、日本唯一の世界タイトルを手放すのだった。

 エキジビジョンをはさんでタイトルを賭けた、パスカル・ペレスとの三度目の対決に挑むも、5ラウン

ドKOに破れ、現役を退くのであった。




 白井さんは、敗戦によりどん底まで落ち込んでいた日本国民をどれだけ励まし、元気つけてくれたこと

か?

 その頃の状況を、文章などでしか知らないオイラには想像するしか出来ないんやけど、本当に国民的な

英雄だったんやろうな。

 そんな白井さんが存命中に、国民栄誉賞をあげて欲しかったけど、それはかないませんでした・・・

 まぁ国民栄誉賞なんてものは、政治家の人気取りで、ほとんどが亡くなって話題になったときに送られ

てるものなんで実際たいした価値なんてないのかもな。

 





        
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