らんぶるライフ はてな版

ボクシングの事書いてます

輝く瞬間

 毎日、あきもせず殴りあってた。

 別に憎い相手ではない。

 むしろ仲間とも言うべき友人とだ。

 もちろんケンカではない。

 ボクシングの実戦練習スパーリングである。

 それは時にプロテストの為であったり、試合の為であったりした。

 まぁ、それは世間みたいなモンに対する大義名分(言い訳)だったが。

 そう、俺は殴りあうことが好きでしょうがなかったのだ。

 グローブをつけてリングに上がり、今の今まで一緒に笑ってた奴と殴りあう。

 常識で考えれば、普通ではないのだが、俺はそういう日々を当たり前の様に過ごしていた。

 殴り合ってる時は前にいる奴は友人でもなんでもない。

 ただ叩きのめすべき相手なのだ。

 自分のパンチが相手の顔面にヒットする瞬間、なんとも言えない満足感が俺の心を支配する。

 その代わりあいてのパンチをもらうと痛み以上に、悔しさやあせり、怒りにも似た感情でいっぱい

になる。

 ゴングが鳴り、スパーリングが終了すると殴りあう喜び、充実感を心の底から感じた。

 しかしスパーリングとは違い、プロの試合のリングに上がるときは怖かった。

 相手の選手や、殴られるのが怖いのではない。

 負けてしまうことへの恐怖だ。

 負けてしまえば、毎朝眠い目をこすって走った事、キツイ減量に耐え苦しみに勝った事が無に帰る様な

気がしたからだ。

 しかし、そういうリスクがあるからこそ、勝った時には、あふれんばかりの喜びと満足感が感じられた

のだ。

 初めての試合で試合で勝利した時のリングアナのコールは今も耳に残っている。

 それ以上に、仲間が俺の勝利に涙してくれた時の熱い思いは、俺の胸から消えることはないだろう。

 初めての勝利はいろいろな意味で最もうれしかった勝ち名乗りであった。

 反面、初めての敗北は、最も悔しく、つらかった。

 自分自身が負けると言うことが信じられなかった。

 敗北と言う事実を受け入れる準備が出来ていなかったせいもあるが、やはり不甲斐なく1R,KO負け

した為だ。

 勝手に自分は倒れることはないと思い込んでいた。

 その純粋さが今となっては懐かしいが、あまりにも無謀な過信だったと言える。

 周りの人たちは言う、

 「なぜ、そんな事してるの?」
 
 好きだからというのは、あまりにも簡単で、説明にもなってない。

 俺の場合は、どんな事しているときよりも、殴り合ってる時が一番自分自身を感じられた。

 リングの上でこそ俺は「生」を感じてるんだと言おう。

 そんな俺でも、やはり喜びを見出せなくなってグローブを置くことにした。

 それからの俺は本当の意味で生きていたとは言えない、くもった生き方をしていた。

 人は皆、自分の人生の中で自分自身を輝かせる瞬間を見つけられるのだろうか?

 俺は、自分が本当に生きていた時に戻りたくて、殴りあうためにリングに帰ってきた。

 輝く瞬間を取り戻すために。



  解説

 これは、カンバックを決めてから、少しして書いたんやけど、チャンチャラおかしいね。

 今でも変わらない気持ちもあるんやけど、青すぎる・・・・

 後、スパーリングにしてもそんなことやから強くなれんのやって、一人で突っ込みいれてもうた。

 ある意味オイラのスパーリングはマスターベーションやね。

 気持ち良いだけでやるもんじゃないな。

 練習なんやから目的意識を持ってして欲しいわ。

 でも、オイラは自分が才能なくて強くなれないって思ってたし(ある意味あたってはいる)四回戦止ま

りで終わるもんやと決め付けていたから、そんな選手はこれでいいのかもなぁ・・・

 ただ、人生において自分の能力の上限を勝手に判断するのはマイナス以外のなんでもないことが今はわ

かる。

 自分を過信しすぎてるのも相当イタイけど・・・

 後、試合の恐怖のことやけど何かと理由をつけようとしてるけど、ホントは練習が無駄になる事なんて

考えてないな。

 負けたらカッコ悪いと言う意識もあるけどホントただただ怖い。

 よく、死ぬかも知れんとか言うけど、あんまりそんなことは考えない。

 俺なんか、自分に酔ってるからリングで死ぬのもありかなとか不謹慎な事も考えてたしなぁ。

 だから、死ぬかもしれないという恐怖ではないな。

 意味不明の恐怖ですな。

 まぁ、人それぞれやろけど。

 結局、カンバックしてタイで試合するんやけど輝きは取り戻せなかったんちゃうかなぁ。

 まぁ、輝きなんて他人が判断するもんやから自分で言うてる時点でアカンかも・・・