らんぶるライフ はてな版

ボクシングの事書いてます

ラブレターの返事の返事に拘わる思い出

 彼女に対しては一目ぼれだった。

 純情だった俺は、ほとんど声をかける事もなく、遠くから彼女を見つめているだけだった。

 彼女を見るために学校に通っていたようなもんだし、小、中、高と学校に通って休みが嫌だったのはこ

の頃だけだ。

 クラスが変わっても、用もないのに彼女のクラスの近くに行ったり、彼女の家の近くを歩いたりと今思

えば完全にストーカーの様な事をしてた。

 そんなささやかな楽しみも崩れ去ることになってしまった。

 転校することになったのである。

 いつか思いを告げなければと思っていたのだが、それが早まってしまった。

 でもどうしても告白する勇気がなかったので、青春物の定番「ラブレター」で行くことにした。

 ラブレターといってもテレ屋で硬派を気取っていた俺は、きれいな言葉を並べたりすることなどでき

ず、紙に大きく「好きです」とだけ書いた。

 そのときは、妙にそれがかっこよく、男気があるように思えたから思いかえすとホントにバカである。

 硬派とか、男気とか言ってるクセして直接彼女に渡すことも出来ず、共通の女友達に渡して貰った。

 渡してもらった夜は、返事も貰ってないのにうまくいった気になっていた。

 今思えば本当に幸せ者である。(ていうよりバカ)

 少しして返事をもらった。

 世の中は俺が考えているように甘くなく、

 「友達としては好きだけど、恋とかそんなのじゃない」

 という様な内容だった。

 もともと友達でもないのにあたりさわりのない事を書いてきた。 

 そして返事をくれとも書いていた。

 振られてるのにそれに気づかず、返事を貰ったことで少し浮かれていた様な気がする。

 その日のホームルームで、避難訓練の後でクラス代表が全校生徒の前で地震体験車に乗るというので、
  
 もうすぐ転校する俺がクラス代表でそれに乗ることになった。

 そういうこともあって調子にづいてた事もある。

 授業中に手紙の返事を書いていた。

 そこまではまぁ良いのだが、手紙の内容を隣の女の子にチェックしてもらう為に手紙を渡した時、

 「おいそこ、今、渡したもの持って来い!」

 最低最悪の瞬間だった。

 手紙を見た瞬間、先生の顔色が変わった。

 廊下に連れ出されて距離にして約15m、数にして約30発延々と下がりながら殴られ続けた。

 友達が戸から顔を出して見ていたのをいまだにはっきり覚えてる。

 教室に帰ったときは本当に気まずかった。

 そうして最悪な時間をすごした後、少しして避難訓練が始まり、校庭に出て行った。

 もう地震体験車になんか乗りたくなかったのだが、無理に前に出され、地震体験車の上から、ヤケッパ

チでピースサインしたり、笑顔を振りまいたりしていた。

 訓練が終わった後、皆の前で先生にこう言われた。

 「あんな直後にああいう態度をとれるのは、大物かバカだ!」

 (ちっ!何言ってやがる、あの場合カッコ悪くて開き直るしかねぇだろこのバカ!)

 返事は書き直して出したけど、それで俺の恋がどうなる事もなかった。

 あれから20年以上たつけど、大物にはなってないので俺は単なるバカだったということか・・・


    <了>


  解説

 これもお題目がラブレターの時に書いた奴なんやけど、自分のバカさに改めて嫌になってきた。

 これは、中学二年生の時の話で、当時オイラは東京の江東区、深川は門前仲町に住んでいた。

 親元を離れ知り合いの家に世話になっていたのだ。

 別に深い理由など一つもないのだが、一年ほど世話になってた。

 この頃はホントに恋に恋してたなぁ。

 全然、話した事もない女の子に入れあげてたんやからなぁ。

 でも毎日が楽しかったな。

 このときから、俺の失恋ロードが始まるのも知らずに。

 ホント青臭いな。

 最近知ったけど彼女は、結婚して子供もいるみたい。

 当然といえば当然である。

 さほどのショックもなかったが、親しくもなかったので、幸せになってくれて嬉しいとも思わなかった

けど。

 一つ言い訳を、彼女の家の近くと書いたけど彼女の親が経営してるお店の事で、近くには公園があって

そこがオイラの仲間の遊び場だったんで、住宅地を一人でうろちょろしていた訳ではないのですわ。

 まぁ、いちいちお店の前は遠周りでも通ったけど・・・