プロで4つの世界タイトルを得たチャンピオンの新たな挑戦
林壮一さんが元4団体世界王者でオリンピック出場を目指す、高山勝成選手のことを書いています。
プロで4つの世界タイトルを得たチャンピオンの新たな挑戦
現役最後の挑戦の場に東京五輪を選んだ高山勝成(写真:長田洋平/アフロスポーツ)
2017年4月3日、当時保持していたWBOミニマム級タイトルを返上し、プロボクサーの引退届を提出。その直後に、一般社団法人日本ボクシング連盟の事務所を一人で訪ね「アマチュア選手としてオリンピック予選選考会に出て、東京五輪を目指したい」と告げた。応対したのは、前会長の山根明である。山根は言った。
しかし言葉とは裏腹に、山根はリオ五輪におけるプロボクサーの出場に賛成していた。
ご存知のように山根は昨年、会長職を追われた。新体制となったアマチュアボクシング界が高山の選手登録を認め、愛知県の選手として初夏に初舞台を踏むこととなっている。
「支えて下さった方々には感謝の気持ちしかありません。とにかく東京五輪に向けて頑張るだけです」(高山)
「世界チャンピオンになると、色々な方からインタビューされます。でも、思ったことを言えない。サインを求められて、『お名前は?』と訊ね、書こうとしても相手の方の漢字が書けない。簡単な計算さえできない…。こんなことでは、世界チャンピオンになってもアカンな、と思い知らされました。ずっと、学び直したかったのです」
高山は15歳年下の同級生と机を並べながら学習し、世界タイトルマッチを戦い抜く。そして同校を卒業後、菊華高校系列の名古屋産業大学現代ビジネス学部に通い、社会科の教師となるべく努力を続けている。現在、大学2年生。同時に、五輪予選に向けて汗を流す日々だ。
「昨年の11月上旬に行われた新人戦で、菊華高校から3名優勝者が出たんです。僕は今、名古屋産業大学のボクシング部で練習しているのですが、週に2~3回、菊華高校との合同練習があるんですよ。その折、高校生たちが何か僕に何か質問してきた場合は、惜しみなく教えるようにしています。ガードが下がっているとか、足の位置はこうだよとか、打ち終わりに頭を振れとか。一緒にやってきた仲間ですから、新人戦の勝利はとても嬉しかったですね。きちんとした指導者がいるので、自分からアドバイスをすることはしませんが、訊いて来た時には、最大限のことをしています」
こうした経験は、高山が教師になった際、財産となるに違いない。
高山はひとつひとつ丁寧に言葉を選び、発言する。撮影:著者
「僕はボクシングをしたことで第一に規律を学びました。他にも人との接し方や、殴られることの痛み、食事の大切さ、何時に起きてロードワークをして、どうやって体の疲れをとるか、ボクシングで上にいくために何をすべきなのかなど…もう人間形成の全てがボクシングによってです。
自分は負け、つまり失敗から学んで来た男です。何が悪かったのかを反省し、二度と同じ過ちを繰り返さないようにやって来ました。そんな風に僕がチャレンジする姿を次世代の子に見せ、<諦めない心>を伝えたい。ボクサーは試合が決まって相手を研究し、必死に調整してリングで拳を交えます。僕は勝ったこともあれば負けたこともあります。試合からまた学び、自分の課題を克服して次に繋げる。そういう作業をコツコツと続けて来ました。学問だけでなく、”学習の尊さ”を教師として説いていけたらな、と考えています」
スポーツの世界を取材していると、しばしば信じられないレベルの指導者や教師、団体の幹部と出会う。今後も決して体罰監督や無能指導者は消えないだろう。
が、高山は人の心の痛みの分かる教師、名指導者となる可能性を十二分に秘めている。
高山勝成の挑戦を見守りたい。
自分は高山選手が最初に所属していたエディタウンゼントジムによく遊びに行ってたので10代の頃から高山選手のことを知ってます。
それほど親しかったわけでもないですが会うとしっかり挨拶してくれる礼儀正しい少年でした。
世界タイトルをとってもまるで変わらない態度でした。
童顔なんで30歳を越えた今でもあの頃のままの少年のイメージのままです(笑)
ボクシング界は海千山千、魑魅魍魎がばっこする世界です(笑)
そんな世界で自分をしっかり持って生きる高山選手は本当に意志が強いんでしょう。
岐阜で高校教師をしている石原英康先生も素晴らしい人格者ですが高山選手も教師になって欲しい人格者です。
オリンピック出場して金メダル、生半可な道じゃないけど頑張って夢をかなえてもらいたいです!