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袴田さん、今も拘禁反応 釈放後初めて書いた「幸せ」


袴田さん、今も拘禁反応 釈放後初めて書いた「幸せ」

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JR浜松駅周辺を、傘を差して歩く袴田巌さん。雨のこの日も休憩をはさみながら、地下道の階段も多い道を約3時間半、前傾姿勢の早足で黙々と歩いた=5月30日午後2時54分、静岡県浜松市中区宮川純一撮影

1966年に静岡県で一家4人が殺害された事件で死刑が確定した、袴田巌さん(82)=浜松市=について、東京高裁(大島隆明裁判長)が11日、再審開始を認めるかどうかの決定を出す。

 袴田さんは現在、故郷の浜松市のマンションで姉の袴田秀子さん(85)と暮らす。JR浜松駅周辺を歩くのが日課で、すれ違う人から「応援しとるで」と声をかけられることもある。

 48年に及んだ拘禁生活の影響で袴田さんは精神を病み、意味が通じない発言も多い。自分のことを「神」や「最高権力者」と語ることもある。秀子さんによると、自身と敵対する存在を思い浮かべてか、「ばい菌」や「ゴミ」という言葉を口にすることも多い。「文章を書かせても同じ。拘置所に入っている時からそうだった」(秀子さん)という。

 5月には、支援者らがメッセージや意見を書き込める「袴田巌さんの壁」が静岡市内で除幕され、袴田さんも「幸せの花」と書き込んだ。秀子さんによると、袴田さんが「幸せ」という言葉を使ったのは、釈放後初めて。「今は幸せだと、多少でも思ってくれると本当にありがたい。裁判の決定で、巌をいつまでも幸せにしてほしい」と話した。(矢吹孝文、宮川純一)

 袴田さんは刑務所から出てきてはいるが無罪放免になったわけではない…
 それでも、刑務所の中にいるよりは幸せを感じられるんでしょうなぁ。
 48年間にも及んだ拘禁生活のせいで精神を病んでしまった袴田さん、刑務所から出てもう結構な時間がたつんですが、精神的な病の方は良くなったわけではないようです。
 そのうえ、再審を伸ばし伸ばしにされたりしているわけです…
 たとえ、再審が決まり裁判を改めて行って無罪を勝ち取っても袴田さんの48年間は帰ってこないし精神の病も治るわけではない。
 しかし、この戦いをやめるわけにはいかない、正義を、真実を、尊厳を守るために。
 この裁判が行われなければこの世に正義も、真実も、尊厳もないに等しい…

 正直、袴田さんとは関係ない、この事件に興味がないという人が世の中大半だと思います。
 でも、いつ自分が冤罪に巻き込まれるかわかりません。
 実際に自分の知り合いで冤罪にあった人は数人います。
 このブログに来る人は大半がボクシングファンでしょうが、ボクシングが好き(やっていなくても)というだけで暴力的な人という烙印を押されて近所の暴力事件の犯人に仕立てられる可能性はゼロとは言えないんです。
 自分は元ボクサーで顔も悪そうとか言われてるんで正直、事件に巻き込まれるかもなってよく想像したりしちゃうんですよ。
 だから、他人事だと思はず少しこの問題に興味を持ってもらいたいのです。