らんぶるライフ はてな版

ボクシングの事書いてます

オイラと清水智信


 昨日は可愛い顔したおっさん特集をしたんで可愛い顔したボクサー代表として元世界王者清水智信さんと一緒に撮った写真をアップします(笑)
 清水さんとは高橋ナオトさんが主宰してるB-BOXというボクシングを通じていじめ撲滅を訴えるボランティア団体のお手伝いをさせてもらった時に会いました。
 それほど会話をしたわけでもないんで間違いなく向うはオイラの事は覚えてないとは思いますが、終わった後の打ち上げの時にちょっと話したらこのブログの事知ってました!
 ブログ仲間である飯田トレーナーさんは金子ジムのトレーナーなんでその関係で見たんでしょう。
 で、その飯田トレーナーのブログで書いてたんですが、清水さんは顔が可愛いとか幼く見られることが凄く嫌というかコンプレックスに感じていたそう・・・
 確かにそういう事ばかり言われると嫌になったり、「そういう事ばかりじゃなく自分のボクシングの良さをほめてもらいたい」なんて思うのかもしれませんが、ビジュアルが良くて注目を浴びるというのは絶対に良い事とは思います。
 大体ブサイクな人間に対して失礼です(笑)
 
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                はい、これでぇ~~~す!
 オイラより11歳年下らしいので現在34,5歳という事ですが若々しくてすいませんがやっぱり可愛らしい顔でした(笑)
 で、現在市会議員をされている政治家なんですが、やっぱりそういう意味ではしっかり大人の雰囲気を持った人でした。
 話し方も丁寧でファン対応も良く真摯で真面目なんだなという好印象しかありませんでした。
 坂田健文さんも現在、政治活動を行っているようですが(この時も来ていたのツーショットアップそのうちします)ボクサー=パンチドランカー、不良、勉強できない、天然とか変なイメージが定着してるのでそういうのを払拭してもらいたいんですよね~~

 しかし、清水さんは世界王者になったとはいえ、色々とついていないことが多かった、悲しい世界王者でもある。
 せっかく正当に世界王者になったのに亀田兄弟の次男が清水さんに挑戦したくなく王座決定戦に出場したほうが王者になれる可能性が高いと踏んだ亀田陣営がWBAに働きかけて清水さんを休養王者に押しのけ、王座決定戦を強行(次男の判定負け)という最悪の事があった。
 この時の記者会見での清水さんの顔はいまだに忘れらない…
 世界王者になってまぁ初防衛の本格的トレーニングに入るまでって多分ボクサーとして一番幸せを感じる時期と思うんですがめちゃくちゃ落ち込んだこの世の終わりみたいな顔して記者会見をしてた。
 オイラはあれを見て亀田兄弟が嫌になり一切試合を見ないしブログでもネタにしないことにしたのだ。
 まぁ兄弟が悪いというよりも亀田兄弟で儲けようとしてる大人たちが悪いんですが…
 現在三男が協栄ジムで再起するようですが、そういう政治的なボクシングではなく王道路線でも勝てる実力があるボクサーなんで自分たちの悪いイメージを払拭できるようにしてほしいです。
 

 それでは前に書いた清水さんのボクサーとしてのプロフィールを貼っておきます。

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                   元WBAスーパーフライ級王者(金子)

            アマ戦績 78戦 68勝(25KO,RSC)10敗
            プロ戦績 24戦 19勝(9KO9 4敗 1分
 
 ボクシングの名門、東京農大で主将を務めていた。
 大学の後輩に、井岡一翔、五十嵐俊之がいる。
 大学卒業とともに金子ジムからプロデビュー。
 デビュー戦はB級、6回戦で日本人相手に2ラウンドTKO勝ち。
 しかし2戦目にタイチャンピオンと試合をし、ダウンを奪われ初回TKO負けをきっするのだった…
 そこから4連勝し当時グリーンツダジム所属だった後の世界挑戦者久高寛之と8回戦で対決、判定勝ち。
 続く8戦目で後の日本王者吉田健司(後に拳時)も判定に下す。
 9,10,11戦は全てタイ人と試合し勝利をあげる。
 11戦目の相手はユース王者で世界ランカーだったので世界ランクイン!
 12戦目に当時のWBCフライ級王者ポンサックレック・ウォンジョンカム殿タイトルマッチが決まり敵地タイに乗り込んでの世界初挑戦に挑む。
 しかし7ラウンド棄権に追い込まれて戴冠ならず、ポンサクにV17を与えることに…
 再起戦2戦をクリアし、8戦目で闘った吉田が持つ日本フライ級王者に挑戦、これを判定で下し日本王者に。
 その勢いにのり、ポンサクからWBC王者を奪った内藤大助に挑戦!
 この試合はポイントを奪い優勢に試合を進めていたが10ラウンドまさかの逆転KO負けで2度目の挑戦も実らずだった…
 すぐさま再起し、世界タイトル挑戦のために日本タイトルッ防衛が出来ないために日本暫定王座に就いていた大学の後輩、五十嵐俊幸と日本王座統一戦を行いこれに判定勝ちし日本王座の統一と初防衛をする。
 日本王座二度目の防衛は池原繁尊と対戦するも偶然のバッティングで左目の上を切り、2ラウンド負傷引き分けに終わる。
 タイ人とノンタイトルを挟み、小林タカヤスと3度目の防衛戦に挑み、7ラウンドTKO勝ちでV3。
 キューピー金沢を6ラウンドTKOで破り、V4を果たすと世界挑戦に備えるために日本タイトルを返上。
 タイ人との世界前哨戦を4ラウンドで片づけ、23戦目に三度の世界タイトル戦が決まる。
 今回は、一階級上げて挑戦、名城信男からタイトルを奪い4度の防衛に成功しているWBAスーパーフライ級王者、ウーゴ・カサレスへの挑戦。
 この挑戦を判定で勝利し念願の世界王者になるのだった!
 しかし、この後に問題が…
 世界タイトルで負傷した清水が初防衛戦をすぐ行えないことで興行的に問題が出る可能性が出てきた亀田ジムの思惑で清水は休養王者にさせられる…
 清水を休養王者にしたことで暫定王者テーパリット・ゴーキャットジムが正規王者に格上げさた。
 日本では禁止になっていた暫定王者戦ではなく正規王者との世界戦ということで亀田大毅とテーパリッド・ゴーキャットジムの試合が認可、日本で興業が行われる。
 しかし亀田大毅は判定負けし、清水は復帰後のV1戦をテーパリットと争うことに。
 この試合は良いところなく9ラウンドTKOで敗れ、初防衛に失敗、王座滑落し引退に踏み切るのだった…
 
 引退後は地元福井でプロ加盟をしないフィッネス感覚のボクシングジムboxstyleを立ち上げ後進に努めていたが、ジムをたたみ福井県議会議員選挙(福井市選挙区)に無所属で出馬し当選
政治活動を行っている。