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またしてもリング禍…

 
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ボクサー岡田選手、夢半ば無念の死 父親苦しい胸の内明かす

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2012年8月の六戸町成人式で笑顔を見せる岡田哲慎さん
 昨年12月20日に行われたボクシングのプロデビュー戦でTKO負けして意識を失い、6日に急性硬膜下血腫で亡くなった六戸町出身の岡田哲慎(おかだ・てっしん)さん(21)。実家への無言の帰宅から一夜明けた7日、父の寛紀さん(51)が取材に応じ「せめて本人が納得してくれていればいいが、まだ21歳。やりたいこともあったろうし、満足してないよな…」と、夢半ばで散ったわが子を思い、苦しい胸の内を明かした。
 寛紀さんによると、岡田さんは小学生のときから空手などを習い、進学した千葉工業大(千葉県習志野市)では武道の躰道(たいどう)も経験したスポーツマン。明るい性格で友達が多く、興味があることには積極的にチャレンジする青年だった。寛紀さんは「いろいろなことをやってみたかったんだろう」と話す。
 所属していたランドジム(同県船橋市)に通い始めたのは一昨年12月から。ボクシングを始める際に相談はなかったが、真剣に打ち込んでいたという。学業とアルバイトを両立させながら週3~4回、ジムに通った。プロテストには昨年7月、2回目の挑戦で合格した。
 昨年12月上旬に東京都内で岡田さんと会って、話をしたという寛紀さん。「デビュー戦を楽しみにしていて、練習がつらいなんて話は全然なかった」と振り返る。
 だが、東京・後楽園ホールで行われた試合後に意識を失い、手術を受けたものの危篤状態に。寛紀さんは「少しでも可能性があるなら、哲慎なら絶対大丈夫と思っていた」と回復を信じ続けたが、願いはかなわなかった。
 息子を失った悲しみはまだ受け止めきれていない。「一パーセントでも危険なら反対していればよかったと思う気持ちもあるが、20歳を越えた息子が決めたこと。止めても辞めなかったかもしれない。ああすれば良かったとも思うがもう戻れない」とつぶやいた。

 

 新年早々の記事ですが、ボクシングに携わる人間としてこの事故について書かないで大阪に帰って誰それと飲んだぁ~!なんて記事は書けません・・・
 まず亡くなった岡田選手のご冥福をお祈りしたと思います、合掌。
 頭部を打ち合う競技であるからしてどれだけ気を使って万全を期してもこういう事故の可能性はゼロにはならないというのは現実だとは思いますが、やはり事故の確率は限りなくゼロに近づくように務めるのが関係者の責任であり、義務である。
 オイラもプロ加盟のジムではないとはいえボクシングにかかわる人間の一人してこういう事故が起こると真摯に受け止め対策などを考えるようにしたいと思います。
 事故というのは試合に限らず、練習のスパーリングでも起こりえるものなのです。
 大きいグローブにヘッドギアという防護用具があるから安心とは限りません・・・
 現にオイラの友人はスパーリングで亡くなりました。(グリーンツダジムのボクサーではありません)
 リング禍で死亡事故が起こった試合を直接観たこともないですが、一度控え室で頭が痛いと訴える選手のためにコミッションの人に頼んで救急車を呼んでもらった事があります。
 幸いその時の彼は一命を取り留めたと後で聞きました。
 
 こういう事故が起こったときに家族がもっとも苦しいのは当然、岡田選手のお父さんも悩んでるようです。
 息子のやりたいことをさせたかった、でも危険なことはさせるべきではなかったのでは?と。
 事故というのは普通に歩いていても車が突っ込んできたりすることもあるんで危ないことをさせなくても事故にあう事もあるし、ボクシングや柔道のように頭部に衝撃を受ける格闘技を続けても何の怪我もしないで選手を終える人だっているけど、わざわざそういう事故がありえる事を選んでほしくないというのが親の気持ちとも思います。
 でも、現在キッズボクシングが盛んになり我が子にボクシングをさせる親も増えてきた。
 オイラ個人的はキッズボクシングは好きではないが競技の発展という観点から見れば飛躍的に技術や選手育成において発展、向上してるのは間違いがない。
 ただ、こういう事故が起こったのでいろいろな面で慎重になっていってほしいです。
 
 こういう事故が二度と起こらない、起こさせないようにファン、関係者、ボクサー自身も考えを話し合っていくべきことだと思います。