命を賭ける?
これ、三浦選手が内山選手に挑戦した時の記事なんですが、思う所があってずっと残してた。
この三浦選手に「命を懸けてやれっ!」言うた叔父さんって元選手で日本フェザー級チャンピオンの三政直って人なんやけど、オイラの考えではまわりの人間は選手に絶対こういう事言うたらアカンと思う。
選手本人が「死んでも勝ちます」とか言うのは勝手やけど。
三浦選手は正直に「命までかけたくない」って言うてますな。
ただ、命かけるつもりでリング上がれって意味で言うたんやって言えばえぇけど本当に命落とした時どんな気持ちなんやろ?
あいつは俺の言った通り命かけてやって燃え尽きたこれも奴の本望やろとか言うんかな?
それってモノすご独りよがりな気がするのだが…
それとも俺があんな事言うたから亡くなったんやって後悔するんかな?
試合が終わった後、三浦選手が棄権せずにあのまま続けてたら殺されてたって言うてましたが、この記事が気になったオイラとしては叔父さんにあてつけて言うたんちゃうかって勝手な事思いましたわ(笑)
某輸入選手が日本タイトルマッチで理不尽な判定で王座滑落、もうやめると言ったのに周りが頑張れって後押しして再戦。
再戦ではその輸入選手は良いところなく敗れてそのまま控室で意識を失いかえらぬ人となった。
ある人が言ってたのだが、命をかけるということはこういう事だ。
命をかけて負けたからその選手は亡くなったのだと。
この意見には賛否あるかと思うが妙に納得させられた部分がある。
もう一つ、自分じゃなく相手の命に関して。
よくリングに上がる時は相手殺すつもりですとか言う選手居るけどオイラ一度もそんなこと思ったことがない。
そんな甘い考えやったから強くなれんかったと言われればそれまでやけどまったく殺すとか思えませんでしたわ。
格闘技ってスポーツ本来の楽しむって部分を排除しなくちゃ行けない部分があるから純粋にスポーツって言えないとは思ってるんやけどそれでもルールにのっとってる以上スポーツ、もしくは競技であるはず。
そこに憎しみも殺意も怒りも必要としないものではないかと言う考えがオイラの考えである。
逆にそういう感情なしに戦えるからオイラはボクシングが好き。
オイラは正直に人を殴ったりすることが好きかと聞かれれば「好き」と思う。
殴るという行為というよりも戦うっていう行為が好きなのだ。
だから弱い相手を一方的に殴りつけたり抵抗できない相手を殴る今流行り(笑)の体罰とかは嫌いです、対等、もしくは自分より強い相手に立ち向かう時に喜びを感じてた。
マァ試合の時は喜びを感じる余裕もなかったんでスパーリングでの話ですが。
じゃぁ喧嘩も好きかって言うと嫌い。
感情をむき出しにして殴りあって負けたら悔しいだけじゃなくみじめな思いをするし勝っても誰も賞賛してはくれない。(仲間が「やっぱお前強いなぁ~」という程度の事は賞賛という言葉に値しないと思う)
こう書いててオイラがボクシングというものをただのマスターベーションとしてしか活用してなかったのがばれてしまいましたが(苦笑)
ただ、喧嘩漫画のように喧嘩の後抱き合う事ってそんなにないやろうけどボクシングの試合終わって抱き合うって本当に自然な事。
まぁKOで決着着いたときは抱き合う事はあんまりないけど最終ラウンドまで行って最後のゴングが鳴った時にオイラは自然と抱き合ってたわ。
「試合が終わった後、選手同士が抱き合ってる姿を見て胡散臭さを感じてたが本当に全力を出し切った試合後というのは自然と抱擁してしまう云々…」(スターアポロン戦だっと思う)
というような事を言ってるのを読んだけどそういうのを自ら体験するというのは素晴らしい経験だったと今更思う。
まぁ昔、亀田の親父は息子が抱き合ってるの引き裂いてたけど所詮ただの喧嘩の延長でボクシングに関わってる人と命かけてリングに上がってる選手との差が出たと思いましたわ。
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