オイラと徳島尚
今回は、オイラのツダジム時代の大先輩,徳島尚さんとの写真を。
この写真はオイラが一人で海に行って身体焼いてた←(孤独)時に偶然安藤謙三や徳島さんが来てて一
緒に遊んでたときのもの。
オイラがバルガスカットで決めてたときやなぁ~
徳島さんは、オイラが入門した時には元日本チャンピオンで世界ランクにも入ってたから雲の上の存在
やった。
ョーの戦記”という章に登場するのだ。
まだ親しくない時に読んだ時は憧れたもんやったなぁ~
それでは徳島さんのボクサーとしての経歴を紹介します。
戦績 33戦 26勝(11KO) 6敗 1分
デビュー4戦目に判定負けするも6戦目に後のWBCスーパーフライ級王者、川島郭志を倒し、WBC
8戦目に西日本新人王、9戦目に中部との決定戦に勝利、10戦目に西軍代表決定戦に勝ち新人王の西
軍代表になるが11戦目、全日本新人王決定戦で敗れて獲得ならず・・・
座に挑戦。
これは5ラウンドKOで敗れてしまう。
この試合は徳島さんが反則したりして相当荒れた試合になったがこの時点での実力差はかなりあったん
やろうな~
この次の試合が津田会長の強引な手腕で、なんと二階級下げたストロー級(現ミニマム)での日本タイ
トル挑戦試合。
この試合の減量はすさまじかったらしい。
オイラまだ入門してなかったから知らんけど死人みたいな顔やったって聞いたことあるわ(笑)
この試合でミサイル工藤に判定で勝利し初タイトルを獲得。
このタイトルは一度防衛後返上。
20戦目に元日本チャンプ松岡洋介と引き分けるも、21戦目にしてとうとう世界タイトル挑戦が決ま
るのだった!
相手は、前回の防衛線でツダジムのチームメイトでもある大鵬健文さんをKOし防衛記録を13に伸ば
したばかりの柳 明佑!
この試合は敵地で行われ、7ラウンドTKOで敗れてしまう・・・
この当時、世界戦の連敗が続き批判もされてたんやよな。
しかし徳島さんは、そんなことではへこたれない!
柳との敗戦からもノンタイトル戦を繰りけし返し、東洋タイトル挑戦のチャンスを掴むのだった。
当時の東洋フライ級チャンピオンはインドネシアのバハール・ウディン。
この試合は生で見たんやよなぁ~
徳島さんは、ウディンを完全にアウトボックス!
判定勝ちで東洋フライ級チャンピオンに!
このときは故、竹本監督もめちゃ喜んでたなぁ~
このタイトルは一度も防衛せずに二度のノンタイトル戦をした後に返上。
そしてなぜか徳島さんは所属だけ九州の小倉高橋ジムへ・・・
見に行った。
このときの相手が後の世界王者の徳山、セレス小林にも勝ってる、日本王者スズキ・カバトになる前の
ノリト・カバト!
この試合は徳島さんには悪いけどカバトが押してた。
このときにそよかぜトレーナーはカバトと見初めて、新日本大阪ジムに招聘することを決めたのだっ
た。
戦。
この試合も名古屋まで見に行った。
正直、飯田はバラエティ出身で当時はそんなに評価されてる選手ではなかったけどオイラはこの試合は
勢いの差が出ると踏んでたんやよな・・・
案の定、判定で徳島さんは負けてしまった。
なんか悔しくて悔しくて、試合後みんなで泣いてたんやよな・・・
でも、ここから飯田覚士は本格派として認識されるようになった節目に当たる試合やったと思う。
この後、徳島さんは一度引退、東京に行ってしまう。
しかし、東京で新日本サイトージムで練習していた徳島さんは、サイトージムの会長から試合を勧めら
れてツダジムから移籍、2年ぶりにKO勝ちで再起した。
この当時、オイラ東京に遊びに行ったついでに新日本サイトージムに寄ったのだ。
めちゃくちゃ親しくもないオイラがいきなりたずねて驚いてたなぁ~
何でカンバックしたか聞いたけど別に軽い気持ちやったみたい。
次の試合は元日本チャンピオンでリカルド・ロペスにも挑戦した平野公夫と試合をして判定負け、この
試合で完全に引退するのだった。
安藤と徳島さん!
PS
今回使った写真は海にいてまぶしかったんで写真写り悪いけど徳島さんはかなりのイケメンです!