らんぶるライフ はてな版

ボクシングの事書いてます

ウエストミンスターボクシングクラブ

1993年の11月の終わりから三ヶ月間、アメリカ、カリフォルニア州のロス・アンジェルスにいた。

 高校生の時に三週間ほどのホームスティをしてからいつかアメリカで暮らす事を夢見てたんやよな。

 だから、ボクシングで世界チャンプになろうとか、あんまり考えてなかった。

 その時のオイラの最終目的は、元ボクサーのアメリカ帰りの私立探偵というハードボイルド小説の主人

公の肩書きみたいなものを本当に実行に移すことだったのだ。

 今更考えたら、本当に子供っぽい、アホな夢やったなぁ・・・



 オイラの悪いところなんやけど、自分に自信が持てないんで、すぐに自分の力を見限ってしまうんやよ

な。

 だから、ボクシング初めても、目標は物凄く低かった。

 オイラは世界チャンピオンになりたくてボクシングを始めたわけではなく”ボクサー”になりたかった

だけなのだ。

 最低目標は,プロになって一勝をあげる事。

 運良く、それはデビュー戦でかなえられたんやけど、二戦目に早くもKО負けの挫折を味わった。

 デビュー戦に勝ったときは内心

 「おれ、結構いけるやん!」

 って勘違いしてたんやけどな。

 その二戦目の挫折によってオイラは自分の才能に勝手に見切りをつけたのだ。

 オイラは四回戦で終わるって、自分で決めてた。

 そんなオイラでも、運良く6回戦の試合が出来、もう十分と思ってボクシングをやめて海外に行こうと

決めた。

 最初は、一年間の働けるビザ(ワーキングホリデー)が取れるオーストラリアに行こうと思って書類を

取り寄せたりしてた。

 オーストラリアで一年暮らせば勝手に英語も覚えるだろうと甘い考えがあったのだ。

 でも、海外経験者の先輩に、

 「英語覚えようとして海外に出ても覚えれない、目的を持たなければ」

 と、忠告を受けたのだ。 

 そこで、ボクシング修行を目的に海外に行くことに考えを切り替えた。

 結局、ボクシングを捨てきれてなかったし、もう魅力に取り付かれてたんやろうな。

 いろんな人に相談したら、オーストラリアはボクシングはそれほど盛んではないという話だったので、

やっぱりアメリカに行くことにした。

 ビザはなくても、もぐってしまえばいいやってイージーに考えていた。

 友達のお母さんの知り合いの人がロスで寿司屋をやってると聞いたので、会ったこともないその人に連

絡を取ってもらって頼ることに。

 今更考えたらめちゃくちゃズーズーしぃ話やで・・・

 その人の家に転がり込んで、その人の仕事仲間が通ってると言うジムに連れていってもらった。

 前振りが長くなったがそれがこのウェストミンスターボクシングクラブだ。

イメージ 1

イメージ 2

 このジムは当時はロスでは、良い選手が集まるジムとして有名だったんやよな。

 本当に偶然やったんやけど。

 居候してる家から、自転車で1時間もかけて通ってた。

 国際免許証は取ってたけど、車を買う余裕がなかったからなぁ・・・

 このジムは、マック・クリハラトレーナーがいるという事で、日本人が結構修行に来てた。

 当時、来てたのが、薬師寺保栄氏、鬼塚勝也氏、西島洋介山氏など。

 オイラが帰った後に来てたのが、戸高秀樹氏、渡辺雄二氏、井岡弘樹氏等のそうそうたるメンバー。

 このジムもボチボチ紹介して行きますわ~