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「メイウェザーvs那須川」は「マイク・タイソンvsボブ・サップ」のようなものか


 林壮一さんの記事です。

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メイウェザーvs那須川」は「マイク・タイソンvsボブ・サップ」のようなものか

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日本の興行団体、RIZIN側は「メイウェザーvs.那須川戦を大晦日に開催する」と発表したが、それを受けたフロイド・メイウェザー・ジュニアが「那須川戦については合意などしていない」とアナウンス。もはや、同ファイトの実現は難しい。というよりも、最初からきちんとした話し合いなど、なされていなかった感がある。
 RIZINが30億円規模のファイトマネーを用意できれば、メイウェザーが試合をする価値もあるかもしれない。だが、ボクシング界でTOPにいた男が、世界的には無名の日本人キックボクサーを相手にする意味は無い。
 90年代後半から00年代の初期にかけて、日本国内には「ボブ・サップマイク・タイソンと戦う!」というデマが流れた。ボクシング界の人間は別として、信じ切ってしまった人も少なからずいた。しかし、これは、日本の格闘技団体が自作した“単なる作り話”だった。
 タイソンは、イベンダー・ホリフィールドの耳を食いちぎって謹慎処分となってから、シャリー・フィンケルをアドバイザーとしていたので、フィンケルに直接質すと、「そんなオファーは全くないよ」と応じたものだ。
 今回の騒動も同じような臭いがする。
 前回の原稿で私は、「アントニオ猪木vs.チャック・ウェプナー、大仁田厚vs.レオン・スピンクス、高田延彦vs.トレバー・ バービック船木誠勝 vs. ロベルト・デュラン等、日本の興行師たちはボクシングの元世界チャンプを使って旨い商売を展開して来た」と書いた。引退後、カネに困っているボクシングの元世界王者を日本に連れて来てプロレス等、他競技のリングに上げ「ボクシングのチャンピオンと言っても、たいして強くない!」なる演出をするのは、いかがなものか。
 ルールが異なれば困惑するのは当然だ。例えるなら、羽生善治にポーカーや囲碁で勝負を挑み「羽生に勝った!」と騒ぎ立てるようなものである。ナンセンスの極みだ。
 那須川が世界的なファイターになりたいのであれば、あくまでも自分の土俵で戦い、その道を究めるべきだ。


 なんか一瞬でも信じて振り回された自分が恥ずかしくなってきました(笑)
 
                     試合中止の前に書かれた記事も春つけておきます。
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フロイド・メイウェザー・ジュニアが那須川天心とのファイトで得るもの

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フロイド・メイウェザー・ジュニアが大晦日那須川天心と試合をするという。メイウェザーにとっては、昨年8月26日のコナー・マクレガー戦以来のリングとなる。2試合連続の異種格闘技戦だ。
 引退した筈のメイウェザーがリングに戻らねばならない理由とは、カネである。2017年7月5日、メイウェザーは「8月26日のマクレガー戦まで、支払いを待ってくれ」と記した嘆願書をIRS(アメリカ合衆国内国歳入庁)に提出している。
 実際のところ、メイウェザーのボクシングライフは、2015年9月12日にWBA/WBCウエルター級タイトルを防衛したところで終わった。その引退からおよそ2年。メイウェザーは、MMAの人気王者でボクサーとしてズブの素人であるマクレガーとグローブを合わせ、IRSへの支払い費用を捻出した。
 話題になってPPVが売れ、確実に勝てる相手――がマクレガーであった。だが、もはや米国内で同じ手法では稼げない。次の舞台として日本を選んだのだ。
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 1998年10月3日、メイウェザーはジェナロ・“チカニート”・ヘルナンデスを8回終了TKOで下してWBCスーパーフェザー級タイトルを獲得。技巧派のチカニートをしても、21歳の若き挑戦者のスピードには付いていけなかった。メイウェザーは出入りが速く、ミスのない芸術的なボクシングを見せた。当時のメイウェザーのニックネームはPretty Boy。まだ、あどけなく、少年の面影を残していた。 
 1999年夏に私がOne on Oneインタビューをした際、「これまで自分が最も幸せを感じたのは、父が出所した日です」と彼は言った。元IBFウエルター級1位の実父、フロイド・メイウェザー・シニアは、麻薬売買の罪で収監され、息子がアトランタ五輪で銅メダリストとなる姿を刑務所のTVで見た。
 WBCスーパーフェザー級タイトルは9度防衛。無敗対決となった7度目の防衛戦では、最大のライバルとされたディエゴ・コラレスを第10ラウンドでストップしている。天才過ぎる故に、メイウェザーはリング上で遊び心を見せ、ファイト中にアナウンサーに話かけるようなことをしていたが、コラレス戦は高いモチベーションで臨んだ。とはいえ、パウンド・フォー・パウンドとされながらも、1試合のファイトマネーは2億円に満たなかった。
 2002年4月にホセ・ルイス・カスティージョを判定で下してWBCライト級王座奪取。同年末のリターンマッチに勝利した際、試合後の記者会見で「もう戦う理由が見つからない。あと数試合で引退する」と話し、涙を流した。
 メイウェザーがスターダムに駆け上がったのは、2007年5月にオスカー・デラホーヤに勝利してからだ。この1試合で少なくとも2500万ドルを稼いだ。自身を「Pretty Boy」としていた彼が、「Money」なるニックネームを好むようになる。また、何人もの取り巻きを引き連れ、まともなインタビューや取材が難しくなっていった。 私は何度も書いてきたが、マニー・パッキャオとのファイトは、「遅過ぎた一戦」だ。あの時点での両者は、共に峠を越えていた。
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 那須川天心という選手は、キックボクシング界の至宝だそうだ。関係者は那須川の能力を絶賛する。しかし、当のメイウェザー(41)は、既に引退した“かつての名チャンピオン”なのだ。やって来た競技も似て非なり。ウエイトにも差がある。
 アントニオ猪木vs.チャック・ウェプナー、大仁田厚vs.レオン・スピンクス、高田延彦vs.トレバー・ バービック船木誠勝 vs. ロベルト・デュラン等、日本の興行師たちはボクシングの元世界チャンプを使って旨い商売を展開して来た。
 メイウェザー那須川に勝利しても、得るものはカネだけで、栄光とはかけ離れた白星だ。パウンド・フォー・パウンドと呼ばれたこの男もまた、日本で晩節を汚すのか。