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ボクシングの事書いてます

松本好二

 
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 キッズボクシングの記事で松本好二の名前が出たので紹介を。
 
             元日本、東洋フェザー級王者
           戦績 33戦 26勝(15KO) 6敗 1分(ヨネクラジム
               本名は弘司
 
 父親も元プロボクサー
 横浜高校でボクシング部に入部、同期には葛西裕一がいる。
 デビュー戦はアマ実績もあるので4回戦ではなくなぜか5回戦・・・(B級であることは間違いない、多分B級トーナメントでデビューしたから5回戦デビューになったと思う)
 B級賞金トーナメントに出場するも後の世界挑戦者、竹田益朗に判定で敗れ初黒星とともにトーナメントから脱落。
 次はAトーナメントに出場し準決勝で福田健吾を破り、決勝は渡辺司と引き分けるも優勝?(トーナメントで規定により勝者扱いなったと思う)
 日本王座決定戦で渡辺司とのダイレクトの再戦はとなり7ラウンドKO,日本王者に。
 しかし初防衛は世界ランカーの浅川誠二、判定で敗れ王座滑落…
 浅川が世界挑戦のために返上した日本王座を玉崎義和と争い判定勝利再び日本王者へ。
 その勢いに乗ってWBAフェザー級王者、朴永均に敵地、韓国で挑戦するも11ラウンドKO負けで世界初挑戦は失敗に終わる…
 再起戦は日本王座の初防衛、挑戦者、玉置厚司を判定で破り初防衛。
 この王座は5度防衛するも6度目の防衛戦で平仲信敏に判定負けし王座滑落。
 再起後はフィリピン人相手に2連勝(2KO)。
 平仲が世界挑戦のために返上した日本タイトルを初防衛で対戦した玉置と争い、判定勝ちで再度日本王者に。
 この王座を今岡武雄、中村淳一、平瀬昇相手に防衛し返上。
 サミュエル・デュランの持つ東洋タイトルに挑戦、8ラウンドOで破り東洋王者に。
 その勢いでWBA,Jライト級王者、崔龍洙チェ・ヨンスに挑戦。
 この試合も敵地、韓国で、それも本来の階級のフェザー級ではなく一階級上のJライト(スーパーフェザー)級だった…
 しかし、かなり善戦したのに敵地でのくさい判定で王座獲得失敗…
 これに懲りたのか、世界挑戦を国内開催に絞る。
 3度目の世界挑戦が決まるまでにフィリピン人相手に2度調整試合を行い、ともにKO勝ち。
 そして決まった国内挑戦はWBAフェザー級王者フレディ・ノーウッド。 
 しかし、この試合はノーウッドが計量までウェイトを作れずに王座はく奪・・・
 試合は松本が勝てば王者、ノーウッドが勝てば王座は空位という形で行われたが結局10ラウンドでKOされて王座には手は届かなかった…
 この試合を最後にグローブを置く。
 引退後はヨネクラジムと高校の先輩である、大橋秀行の大橋スポーツでトレーナーに就任、川嶋勝重を世界王者に育てた。
 
 こうしてみると、しっかりしたキャリアを踏んでますな。
 世界に挑戦した、もしくはすることになる対戦者が、竹田益朗、浅川誠二、平仲信敏、サミュエル・デュランと4人もいます、まぁデュラン以外は負けてるんですが…
 最後のタイトルマッチ、フェザーにこだわらずにチェ・ヨンスを日本に呼んで挑戦してたら世界王者になれた可能性もあったんちゃうかな?って思うんやけど、まぁそういう事言いだしたらきりがないですがせっかく日本に呼んだ相手がファン・マヌエル・マルケスに勝つことになるようなフレディ・ノーウッドというのは正直ついてないよな…
 この人とは会話したことはないですが接近遭遇はあります(笑)
 川島郭志VSホセ・ルイス・ブエノ2の時にブエノの応援に行ったんやけど、オイラは一応ロマンサ関係者みたいな顔してブエノの周りの取り巻きとしておった。
 ブエノは帝拳所属なんで本田会長とか長野マネージャーもおったから日本人のオイラがいても不自然ではなかったのだ。
 で、バンテージチェックをする時に相手側の人間が立ち会うのだが、松本さんがブエノのバンテージにあれこれイチャモンつけてた(笑)
 オイラ、ブエノ側の人間やったから面倒くさいなぁ~って思ってたんやけどヨネクラジム側というか川島郭志米倉会長にしたら頼もしいスタッフやなぁ~っ思うわ。
 後、この人結構な男前と思うんやけどそういう風な紹介のされ方全然されてなかったから実際本物見た時に男前なんでちょっと驚いた覚えがある。
 でも、この頃のこの階級は結構充実してましたな。
 ただ、人気選手も多かったんでその中でちょっと埋もれてしまった感じもあるけど、しっかりその辺りの選手とも試合してるもんな。