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日本、東洋王者を取らないで世界王者になった世界チャンピオン

 
 こないだの向井選手の世界挑戦の記事でちょっと苦言を書いたのだが、現在の世界挑戦の規定で日本か東洋王者になった選手しか国内で世界挑戦出来ないという規定がある。
 この規定は結構あやふやで今までも何度かこういう規定が出来たのだがうやむやのうちの無くなってたりするのだ。
 
 でも、日本、東洋王者になってないのに挑戦してる人は多いよな。
 で、それで世界王者になった人を調べてみたら結構いた。
 
 この人は正統派と思ってたけど実際は世界タイトル挑戦はタナボタだったのだ。
 矢尾板貞雄が世界戦決まってるのにジムの会長と喧嘩して引退して世界戦が宙ブランになったのでお鉢が回ってきたというのが真相。
 そして海老原博之も、日本も東洋もやってないんやよな。
 ただ、東洋王者とは試合をして勝っているが相手の体重オーバーでグローブハンデをつけての試合だったので後に相手が抗議をしてタイトル移動は無効になってしまったという経緯があるので実力は示しているのだ。
 藤猛は日本、東洋を奪取しての満を持しての挑戦だった。
 沼田義明は東洋のみ戴冠。
 そのライバル小林弘は日本タイトルを獲得7度の防衛をこなしての世界挑戦。
 西城正三アメリカに拠点を置いて戦っていて世界王者にノンタイトルで勝ち、チャンスをものにしたので日本、東洋王者とは対戦の機会はなかった。 
 大場政夫も日本も東洋も獲得していないが両方のチャンピオンとノンタイトルで対戦し勝っているだけではなく海老原に勝って世界王者になったばかりのバーナベ・ビラカンポにもノンタイトルで勝っているという文句のつけようのない実力を示していた。
 柴田国明は日本王座を獲得。
 輪島功一も日本王座を獲得。
 ガッツ石松は最初の世界挑戦イスマエル・ラグナの時点では無冠で挑戦。
 その後、日本タイトルに挑戦するも引き分け。
 東洋王者を奪い再浮上、ロベルト・デュランに挑戦、あえなくKO負けするが3度目の挑戦で世界奪取するのだった。
 大熊正二は日本、東洋へは挑戦していない。戴冠後に初防衛戦で負け、再度の世界王者戴冠を目指す間も日本、東洋の王座にはまったく挑戦しなかった…
 花形進は日本王者経験者。
 ロイヤル小林はアマエリートとしてデビュー、11連続KOなどの活躍を見せるが最初の世界挑戦のアリュゲリョの時には日本も東洋も獲っていない。
 で敗北して次のリゴベルト・アリスコへの挑戦で世界王者になるのだがこの時点でも日本、東洋のタイトルは獲ってない。
 ただすぐに王座を奪われそこから再戴冠を狙って頑張るわけだが3度目の世界挑戦、ウィルフレド・ゴメスの時にも獲ってない。
 ゴメスに負けた後の試合で東洋王者を奪いこれを防衛しながら世界挑戦の機会をうかがい、エウセビオ・ペドロサに挑戦、またも失敗するのだが、この後東洋王座を7回防衛し東洋王座滑落で引退している。
 具志堅用高は日本タイトルをする前、9戦目ででの獲得。
 この挑戦自体は無謀と当時思われていた。
 工藤政志は日本王者経験者。
 中島成雄は日本、東洋も挑戦していない。
 上原康恒は一回目ベン・ビラフロアの挑戦時には日本、東洋は獲らずに挑戦して敗北、その後に日本タイトルを奪取して一度奪われるも奪回し7度防衛後サムエル・セラノに挑戦して王座を獲得している。
 三原正は東洋、日本両方獲ってる。
 渡嘉敷勝男は日本、東洋王座に挑戦はしてない。
 渡辺二郎も、日本、東洋には挑戦していない。
 友利正は日本王者経験者。
 小林光二は日本も東洋も挑戦はしてないが日本王者ではない時のジャッカル丸山と引き分けている。
 IBFバンタム級王者だった新垣諭も日本、東洋には挑戦してない。(途中までJBC選手だったんで挑戦できる機会はあった)
 この後しばらくの世界王者になった選手は日本王座、もしかは東洋王者を獲得している。
 
 浜田(東洋王者も)六車、井岡弘樹大橋秀行レパード玉熊、畑中清司、辰吉、鬼塚、平仲、勇利、グッシー(東洋も)、薬師寺、川島、竹原(東洋も)山口、飯田、畑山(東洋も) 戸高、徳山(東洋のみ)、星野、セレス小林、新井田、佐藤修(東洋のみ)
 
 ちなみに大橋は一度目の挑戦時には日本タイトル経験はなく二度目の挑戦前にライバルである喜友名朝博の持つ日本タイトルに挑戦し世界挑戦者決定戦を制しての挑戦だったがまたしても敗れ3度目の挑戦で夢を実らせる。
 イーグル・デン・ジュラパンが世界王者になるまで、世界王者になった選手は徳山昌守佐藤修以外は全員日本タイトルを獲ってますな。(佐藤、徳山は東洋王者になっている)
 この後も内藤大助まで長谷川、亀田を除いて全員が日本王者経験者。(長谷川、亀田はOPBF王者)
 川嶋、高山、長谷川(東洋のみ)、越本(日本、東洋)名城、亀田1(東洋のみ)、坂田、内藤(日本、東洋)
 ホルヘ・リナレスは日本、東洋も獲らなかった。
 ちなみにリナレスは日本人との対戦は1度きり。
 内藤大助は一度目の世界挑戦時は日本タイトルで引き分けて世界ランク入りしその勢いで世界タイトルをして最短KO負けの記録を作ったが後に日本、東洋王者を獲得し挑戦し世界王者になっている。
 この後は小堀、西岡、粟生、石田(日本、東洋)、内山(東洋のみ)が獲ってるけど亀田2が日本、東洋ともにやらずに世界挑戦(一度目は失敗二度目で戴冠)。
 李烈理、下田、井岡一翔、清水、八重樫(一度目の挑戦前は東洋獲得二度目の前に日本獲得して世界奪取)山中、佐藤洋太(日本暫定)、五十嵐、河野(日本、東洋)
宮崎(日本、東洋)三浦が、王者経験者。
 そして、江口光喜は日本、東洋ともに挑戦なしで暫定王者に。
 現在、暫定王者は日本では世界王者に含まれないらしくカウントされないことになっている…
 亀3は日本、東洋は獲ってないが中南米の色々なタイトルを獲得している。
 
 こうしてみると、ファイティング原田海老原博幸西城正三、大場政夫、大熊正二具志堅用高、中島茂雄、渡嘉敷勝男新垣諭渡辺二郎小林光二、イーグル・デン・ジュラパン、ホルヘ・リナレス、亀田2、3、江藤と16人もいます。
 そして後あと名をはせた世界王者が意外に多い…
 まぁ海老原は一応東洋王者に勝ってるのでカウントを外しても良さそう。
 同じ理由で大場も外すべきですな。
 西城、リナレス、亀3は海外を活動の場にしていたのでこれも除外したほうが良さそう。
 イーグルは外国人やけど基本日本での活動なのでカウントします。
 江藤選手は暫定で現在は認められていないのでこれも除外。
 後、東洋王者経験者ではあるけど世界王者になった後の戴冠なのでロイヤル小林はカウントにいれるべきということで、最終的には
 ファイティング原田ロイヤル小林大熊正二具志堅用高、中島茂雄、渡嘉敷勝男渡辺二郎小林光二新垣諭、イーグル・デン・ジュラパンの10人という事でしょうか。
 
                 
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                   ロイヤル小林
 
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                    大熊正二
 
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                    具志堅用高
 
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                      中島茂雄
 
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イーグル・デン・ジュラパン
 
 
 なんとも言えませんが、そのうちに成功例じゃなく失敗例のほうも調べてみたいと思いますがこれはめちゃくちゃ数が多そうなのでいつになるかわかりません…
 
 後、間違いや抜けてる部分があるかもしれないんでご指摘あれば遠慮なくお願いします。
 
 追記
 上原康恒さんは日本タイトルを獲得して7度も防衛してるのに獲得してない戸思いっ切り勘違いしてしまいました、訂正しておきました、どうも申し訳ございません…