リングの虫 ボクシング一筋・45年
ちょい前にヨネクラジムの事を記事にしたので…
米倉会長はヨネクラジム会長としての活躍が際立ってるけど現役時代も凄い人やった。
この本は川島郭志がまだ現役王者だったころに書かれたようですな。
当時61歳だったようやけど現役世界王者のミットを受けてたらしく現代(当時)からプロローグとして始まる。
第一章はまず生い立ちからアマ時代を。
小さいころから大きい兄貴たちにしごかれて暮らしていた米倉は自然とガキ大将となり腕っぷしも運動神経にも自身があった。
しかしチームプレイより個人競技、腕っぷしは強いが身体が小さいということで高校に入ってボクシングを始めることに。
そのままボクシングにのめり込み明治大学に進学してボクシングを続けていた。
そんな時、運命の出会いが米倉に巡りくるのだった。
大学一年生で無名の選手だった米倉が試合で負けた後に控室に日本人初の世界王者白井義男さんとその師、アルビン・カーン博士が現れたのだった!
カーン博士に教わる機会を得た米倉はボクシング技術を急激に進歩させていく。
そして頭角を現しとうとうメルボルンオリンピック代表となるのであった。
大会出場では日本人初の4位入賞も決めた。
しかし準決勝戦で微妙な判定で敗れメダル獲得はならなかったのだった…
だが、米倉は決してこの事には後悔がない、当時はメダリストがプロ転向など考えられないような時代だったのでもし獲っていたら二度の世界挑戦も5人の世界王王者も育てることはなかったのだからと。
運命というのは後から考えると上手くいってるもんなんやなぁ~
しかし、オリンピック後、米倉はオリンピック4位の栄光を汚さないようにと周りからプロ転向を反対され就職してしまう。
それを知ったカーン博士は烈火のごとく怒ったそう…
そこまでしてプロ行きを拒んだ米倉だったがサラリーマン生活は物足りなく結局一年で会社を退職、ボクシング界に戻ってくるのだった。
第二章はプロボクサー時代。
プロデビュー戦が決まるがなんと現役世界ランカーだった矢尾板貞雄とのエキジビジョン!
どれだけ期待されていたかがわかるエピソードですな。
これはエキジビジョンなんで勝敗はなかったがホープの片りんを見せることは出来たようだった。
実際のデビュー戦は現新日本木村ジムの会長木村七郎に4ラウンド終了TKO勝ち。
そして3戦目に日本フライ級タイトルで矢尾板と本番を行うのだった。
さすがにキャリアの差で敗れてしまうが善戦したよう。
減量も限界に来ていたのでバンタム級にあげる。
獲得後は日本人相手にエキジビジョンを3回行った後、世界バンタム級王者ホセ・ベセラに挑戦が決まる。
しかしベセラ戦の一ヶ月前のエキジビジョンで左目を痛めてしまっていた米倉は完調とは言えない状態だったが今のように簡単に世界戦が組まれる時代ではないために無理を押して出場、判定で敗れてしまう。
そして、当時は目の手術にも不安が多かったので手術を受けずに現役を続け25戦目にホープ、青木勝利と対戦し判定負けで東洋王座を奪われ引退した。
結局、目の怪我を引きずりながら現役を続けたため米倉は現在も左もが良くないのだ。
第三章はジム会長として。
これはジムの指導者としての自分のポリシー、考え方などを紹介、
5人の世界王者を育てた米倉会長の考え方勉強になりますな。
この本は技術書ではないのでテクニックなどではなくモノの考え方ですな。
第四章はヨネクラジムが生んだ世界チャンピオンが語るエピソード。
柴田国明は自分を米倉教の信者と語るほどに米倉会長に心酔している。
ガッツ石松はいい親分に出会ったと語ってる。
中島盛雄は世話女房のように面倒見てくれたと言ってる。
このご時世、いくら教え子とはいえそんなに親身になってくれる人なんておらんよなぁ、確かに世界王者になる可能性を秘めた若者は金の成る木だが、それ以上に米倉会長のボクシングへの情熱が垣間見えるエピソードです。
大橋会長は米倉会長は子供みたいな所があると語る。
こういう話での子供の様なとは勿論褒め言葉。
子供のように純粋にボクシング、ボクサーを愛す可愛らしい部分のある人だと。
川島郭志は会長の車に乗るのがスリリングと語る…
まぁこれはただの笑い話ですな…
米倉会長は選手としてのエピソードも会長としてのエピソードもたんまりあるのでこれはなかなか楽しめる一冊となっております!