ピストン堀口物語
漫画家の影丸穣也さん死去 「空手バカ一代」の作画
梶原一騎さん原作「空手バカ一代」の作画などで知られる漫画家の影丸穣也(かげまる・じょうや、本名・久保本稔=くぼもと・みのる)さんが4月5日、膵臓(すいぞう)がんのため東京都内の自宅で死去していたことが8日、分かった。72歳。大阪市出身。葬儀は近親者で済ませた。喪主は妻、ヨシ子(よしこ)さん。偲ぶ会が後日、公認ファンクラブ主催で開かれる。
「空手バカ一代」は、途中で降板した漫画家のつのだじろうさんの後を引き継いで、作画を担当した。他の代表作に「ワル」、横溝正史さん原作の金田一耕助シリーズ「八つ墓村」「悪魔が来りて笛を吹く」など。NHK「プロジェクトX」のコミック版なども手がけた
もうだいぶと経ってしまったが、影丸穣也先生が亡くなられた。
まぁ正直、オイラ梶原一騎原作の作品しか読んだことないんやけど…
梶原の弟の真樹日佐夫の「ワル 」とかも有名やけど読んだことありません。
大山倍達 がロン毛で空手家というよりも悩める文学青年風やった(笑)
梶原一騎はなかなか問題ある作家やからトラブルもあったんやろうな…
この作品は梶原のデビュー作でもあり引退作品でもあるのだ。
このピストン物語は読み物として「打たせて撃つ」という題名で梶原が若いころに
新聞連載されたデビュー作が原作になっている。
そして、梶原引退記念作品として「男の星座」を連載していた時期に影丸にこの作品を描くように依頼し、この作品連載中に亡くなったのでデビュー作と同時に引退作でもあるのだ。
それでは内容を
昭和6年、栃木県、真岡から物語は始まる。
アメリカからわたってきた新しいスポーツ拳闘の興業が行われてるのを堀口少年は興味をもち、観戦。
試合が終わった後に素人の飛び入り参加の時間になり堀口少年は名乗りを上げるのだった!
その試合で最初はボクサー相手にてこずるものの柔道で鍛えたタフネスで相手のパンチもなんのその、最後にはボクサーをギブアップさせ観客は堀口に大歓声を送るのだった。b
拳闘の興業団体が去った後も堀口少年は拳闘を忘れられず、拳闘をすることを誓う。
そこで恒男は驚くほどのスタミナを見せ周りを驚かせるが月日がたってもディフェンス能力は一向に進歩がない…
しかしいったん攻撃をしだすと猛ラッシュで止まらない、まさに攻撃こそ最大の防御とばかりに打って、打って打ちまくる。
コーチは恒男には防御は必要ないと判断、この戦法で通すことに!
この戦法をジムでも続けたせいで周りのボクサーはどんどん潰れていくのだった…
日仏対抗戦でデビューを果たした恒男は期待の新人となる。
そして日仏大国際戦に出場するために代表選抜戦に出ることに。
選抜の第一試合で休みなく打ち続ける恒男に誰からともなく”ピストン”の言葉が。
ここでピストン堀口が誕生したのであった!
恒男の階級フェザー級にはノックアウトアーチストと異名をとる中村金雄がいた。
決勝で強豪と対戦することになった恒夫。
芸術的なカウンターでKOを生む中村か?ラッシュに次ぐラッシュのピストン堀口か?話題性十分で盛り上がる拳闘大会。
壮絶な打ち合いを制し相手のセコンドのタオルが舞ったことで2RTKOで恒男に勝利が舞い込むのであった!
負けた中村はその場で引退宣言、恒男に後進を託すのであった。
そして本番のフランスとの対抗戦、仏国フェザー級王者ルール・ユーグと対戦することになった恒男。
この試合は8回戦で行われ両者一歩も譲らずの大激闘は判定までもつれ込み判定は堀口に!
この日は大盛り上がりで興業は終了したのであった。
その後も日仏対抗戦は続くのだがやはりピストンの出る興業は盛り上がりが違った。
次の恒男の対戦相手はヨーロッパバンタム級チャンピオン、ルーミエ・ルネドラプ。
この試合も猛烈な打ち合いの末判定へ。
結果はドローに終わったが観客は大盛り上がり、恒男は延長戦がないことに悔しさをにじませるのだった…
大人気になるピストン堀口。
大人気になり怪しい興業にも顔出さなければいけなくなった恒男は八百長を無視してロシア人をラッシュで圧倒、打倒してしまうのだった。
恒男はボクシングを道、拳闘道としてといらえていたので邪道な行いは許されなかったのだった。
ある時、恒男は後援者のヤクザの親分との会席に出席、そこで料亭の女将にただならぬ感情を抱く。
あまりの美しさにのぼせてしまい絡んでしまう恒男…
後日、ヤクザの親分の妾だと聞かされた恒男だったが、それでも思いは変わらない。
恒男はなぜあそこまでリングのうえで壮絶に戦えるのか?
それはリングの上で死ぬ事を恐れてないからである。
しかしその女と会ってからは思いを遂げなければ死ねないという思いにとらわれてしまうのだった。
意を決した恒男は料亭に生き女将を口説く。
そして帰り道…
親分の差し金か空手家の襲撃が!その空手家を倒した後もぞろぞろと刺客が!
すべてを倒し家に付く恒男であった!(この辺り梶原らしいフィクションですなぁ~)
この事件の後、フィリピンから世界の強豪と言われるヤング・トミーが来日。
恒男に挑戦状を出してくるのだった。
彼はバンタム級の選手なので契約ウェイトで試合をするために恒男は減量を強いられ試合で精彩を無くすが後半を盛り返し何とか引き分けに持ち込むのだった。
すぐさま再戦を熱望、早速再戦が決定されるのだった。
この再戦は恒男の調子も良く一方的な展開になったが難を逃れるためにトミーは再三のローブロー攻撃と言う卑怯な手を使い、とうとうレフェリーにストップされ反則勝ちとなるのであった。
大活躍でどんどん人気者になって行く恒男。
そして全日本拳闘選手権、つまりは日本チャンピオンを決める試合に出場することに。
しかしこの試合の前の試合で目の上を切っていた恒男は1ラウンドからその傷が出血大流血戦となるのだった。
お互い血みどろになりながらの大激闘、この試合も判定に持ち込まれたが勝者は堀口!晴れて日本フェザー級チャンピオンになるのだった!
しかしそんな時に日本ボクシング界に波乱が…
堀口が怪我のために日本拳闘連盟が企画した東洋選手権を棄権。
人気選手、堀口恒男が所属する日本拳闘倶楽部の会長であり、日本ボクシング界の父と言われた渡辺勇次郎を全日本拳闘連盟は除籍に。
怒った渡辺は大日本拳闘連盟を結成!(なんかプロレスみたいですが事実です)
そういう状態で試合枯れをしていた恒男だったが、トレーナーの岡本不二は堀口と独立を決意、師匠である渡辺に反旗を覆すことになるのだった。
師匠を裏切る形となった恒男はトレーナーの岡本とともにハワイへ。
ただ、日本人気質として堀口の行動が裏切り以外の何物ではなく映るのでファンは複雑な気持ちで見送るのであった…
ハワイで数試合を行い当地のファンを驚愕させた恒男は東洋王者、B・D・グスマンと対戦、これに勝利し東洋王者として日本に帰ってくるのだった。
この辺りから日本は戦争に介入、戦乱に捲き込まれていくのだった…
堀口に去られた渡辺は連盟と和解し連盟に戻っていたが堀口に対する恨みは忘れてはいなかった。
新たな弟子、笹崎僙を育て上げていたのだった!
笹崎は堀口のピストン殺法とは真逆のストレートパンチャーでやりの笹崎の異名を取り、快進撃を続けていた。
この2人の対決は大いに盛り上がり「世紀の一戦」と言われたビッグマッチとなる。
この試合は壮絶な打ち合いの末、笹崎のセコンドである渡辺がタオルを投げ堀口の勝利となる。
しかし渡辺は堀口の勝利、 笹崎の敗北というよりも日本拳闘界の復活と成功こそが目的であり、満足げであった。
兵役の検査でパンチドランク症状が見えるという事を理由に軍に入れなかった恒男。
戦争が終わり拳闘も復帰、恒男は改めてリングに上がることに。
弟たちもプロボクサーになり大活躍、そして世紀の一戦の再戦が組まれることに。
そこで見られたのはピストンの衰えだった…
堀口は生涯初のダウンを喫するのだった!
何とか持ちこたえて判定まで粘り引き分けに持ち込むがもはやかつてのピストン堀口ではないのは笹崎には痛いほどに感じられたのであった…
三戦目も行われたが往年の迫力もなく判定負け…
次第に負けが多くなりかつてのようなファイトが出来なくなる恒男…
しかし無理を承知でリングに上がり続け、新たな挑戦として日本ミドル級王者に挑戦!
この試合、相手のハードパンチでズタズタになりながらも耐え忍びとうとう7ラウンドに相手を仕留め日本ミドル級王者に!
しかしこのタイトルは初防衛で技巧派のチャレンジャーにあっけなく奪い去られるのであった。
それでもリングに上がり続ける堀口に協会から出場禁止の勧告が。
これは堀口の名誉のために撤回されるがようやくグローブを置くことに。
引退後は名声を買われ探偵社に就職(探偵は顔が割れてると仕事にならないので宣伝のためと思われる)。
昭和25年10月二四日の深夜東海道線馬入川鉄橋にて下り貨物列車にはねられ亡くなる、36歳の若さだった…
(完)
当時の新聞などの資料もふんだんに使われており試合については正しく描かれてるはず。
まぁオイラとしてはまぁまぁですな・・・