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勝つことを知った男 モハメド・アリを育てた名トレーナー

アリのトレーナー、ダンディー氏が死去

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 元ヘビー級ボクサーのモハメド・アリなどのトレーナーとして知られるアンジェロ・ダンディー氏が1日、米フロリダ州の自宅で亡くなった。90歳だった。

ダンディー氏はトレーナーとして50年以上のキャリアを誇り、アリの他にもシュガー・レイ・レナードジョージ・フォアマンなど、計15人の世界チャンピオンを育てた。1994年にはボクシングの殿堂入りを果たした。

プロモーターのボブ・アラム氏はロイターの取材に対し、「これまでに自分が見た中で、間違いなく最も偉大なトレーナーだった」とコメント。「アリの隣にはいつも彼がいた」と思い出を語った。

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アンジェロ・ダンディ、亡くなりましたな…
関わったチャンピオンは、モハメド・アリシュガー・レイ・レナードエミール・グリフィス、デビー・ムーア、ウィリー・パストラノ、カーメンバシリオなど。
90歳は大往生というても良いでしょう、安らかにお休み下さい。
 
ということで、アンジエロ・ダンディー(以下アンジー)の自伝「勝つことを知った男」の紹介を。
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プロローグはウェルター級統一戦、レナードVSハーンズの試合前から始まる。
アンジーはこの世紀の一戦を自分の弟子レナードを勝利に導いた。
ボクシング界での地位を完全に固めているアンジーはなぜここまでのトレーナーになれたのか?
 それはザ・グレーテスト!モハメド・アリとの出会いがあったからなのだ。
 
 ある日電話がかかってくる。
 「私はカシアス・クレイ、ゴールデン・グラブチャンピオン(アマの大会)です。あなたに会いたいのですが?」
 暇つぶしにその若者に会ってみることにしたアンジー
 5分のつもりが楽しく会話が弾み4時間が経過した。
 若者に好感を持ったアンジーだったがアマチュアボクサーには興味がないのでそのまま忘れていた。
 そう、その若者こそ、まだオリンピックに出場前のモハメド・アリだったのだ。
 
アンジェロ・ダンディーというのは本名ではない。
長兄のジョーが親に隠れてプロのリングに上がるために使った偽名のリングネームがジョー・ダンディだったのだがそれをそのまま使ったのだ。
 次兄のクリスはボクシングのマネージャーになった。
 クリスはマネージャーとして名選手を育て上げなかなかの名を成した。
 そうアンジ―はボクシングにかかわるのはもう運命だったことがわかる。
 選手としては軍隊時代に少し試合に出ている。(授業で野球やる程度のキャリアと思うけど)
 兄のクリスを手伝うようになったのがこの業界に入るきっかけだったのだ。
 
 アンジーはこの業界に入り苦労を重ねながらものし上がっていく。
 そして金メダルを取ったカシアス・クレイがプロに転向、だがトレーナーとうまくいっていないということでアンジーに話がまわってくるのだった。
 ここからアンジーはアリの参謀として色々な伝説を作っていくのだった。
 アリを休ませるためにグローブを裂いて交換させてアリを休ませたのは有名な話。
 ただキンシャサでのフォアマンとの戦いでアリがロープにもたれて戦うためにロープをゆるく張ったのはアンジーというのはデマ。
 あのロープを背負う戦法”ロープアドープ”もアンジーの作戦じゃなくアリが勝手にしたらしいな~
 それでもアンジーはアリとは相性が良く現役時代はずっとコンビを組んでいた。
 引退してからも二人の絆はこわれることはなかったよいですなぁ~
 
 ちなみのレナードとは金銭問題がこじれての決別の様ですな…
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 年老いてふざけ合う二人。
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若かりし二人。
 
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 アンジー安らかにお眠りください…