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ボクシングの事書いてます

エディ

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 今回は、山本茂の「エディ』の紹介を。

 この作者、山本茂は元ボクシングマガジン編集長でボクシング関連の本を何冊も出版してる。


 でも、最近は全然ボクシング関係の本も出さないし、ボクシングのテレビにも顔を出さない・・・

 なんか嫌なことでもあったんかな?(苦笑)

 
 エディと言ったらエディ・マーフィー

 日本ボクシングファンの中ではエディと言えばエディさん!(エディ・ファッチやろうとか言わない

の!注ファッチはR・ボウ、R・ホームズ、M・スピンクスなんかの名トレーナー)

 本名はエドワード・タウンゼント・ジュニアである。

 エディさんはハワイ生まれの日系アメリカ人。

 元プロボクサーで大東亜戦争(太平洋戦争)のために引退を余儀なくされた。

 力道山の招聘で日本に来るのだが力道山の死でリキジムが無くなりいわゆるジプシートレーナーになっ

たのである・・・

 エディさんが育てた世界チャンピオンは、藤猛海老原博幸柴田国明ガッツ石松友利正、井岡弘

樹の6人。

 それぞれを、一章ごとに分けてその関わりを丹念に書き込んである。

 「第一章、卵が割れたら怪物が出てきた」は藤猛さんについて。

 藤猛もエディさんと同じハワイの日系人。(本名ポール・タケシ・フジイ)

 子供の頃からの知り合いだったらしい。

 日本に来て偶然、エディさんがいるのを知り頼ってくるのだった。

 藤猛は来た時はデブデブでエディさんは最初わからなかったらしいが藤猛アメリカでアマ経験もあり

メキメキと本領発揮し日本でも”ハンマーパンチのチャッチフレーズで活躍して人気ボクサーとなり世

界王者となるのだった。

 でも二人ともアメリカ人なんでお金に関してはドライでその辺りではうまいくいかなくなってたら

し・・・

 この章には藤猛だけでなく悲劇のボクサーと言われた田辺清さんのことも書かれている。

 田辺さんは世界チャンプ、オラシオ・アカバロとノンタイトルで戦いKO勝ちし、タイトル戦が決ま

る。

 しかしタイトル戦直前に、網膜はく離隣引退するという不運のボクサーなのだ。



 「第二章 ガラスの拳を持った天才」は、故海老原博幸さん。

 生前の力道山と親しかった関係で協栄ジムの、故金平正紀会長からの要請で元世界チャンピオンで再度

の戴冠を目指していた海老原のトレーナーになる。

 海老原は田辺が挑戦する予定だったアカバロへの挑戦が決まっていたのだ。

 しかし相手の地元で試合をして判定盗まれ戴冠ならず・・・

 しかし、チャンピオンのアカバロがタイトルを返上し決定戦で海老原にチャンスが!

 この試合は札幌で行なわれ海老原が5年ぶりに世界チャンピオンに。

 海老原は才能豊だったが拳を痛めたりと不運が重なり実質的に才能に準じた結果は残せずやったんや

な。

 この章はカシアス内藤会長のことにも少しふれてますわ。



 「第三章 神から授けられた強打」は柴田国明さん。

 エディさんが柴田のトレーナーをしたのは、二階級制覇を狙っていたWBAのS・フェザー級王者挑戦

の試合一週間前だった。

 この二人には実を言うと因縁があった。

 柴田がKO負けした相手のセコンドにエディがついていたのだ。

 その後にエディが柴田にちょっとしたアドバイスを与えそのアドバイスで柴田は完全にエディに心酔し

ていたらしい。

 そして柴田は二階級制覇に成功する。

 しかし柴田は類まれな才能のほかにグラスジョーという弱点も持っていたためフェザー級に続いてまた

してもKOでタイトルを手放してしまう・・・

 しかしWBCでのタイトル挑戦が決まり、この時も米倉会長からエディにトレーナーの要請が。

 この試合は右の足首の靭帯を切った状態での試合となったがコーナーでのエディの暗示を聞かせたアド

バイスが功を奏し判定で三度目の戴冠を果たすのだった!

 
 「第四章 本名を失った意外性の男」はガッツ石松さん!

 勘違いされやすいけどガッツはガッツがあるからガッツ石松ではない。

 ガッツが無いからガッツがつくようにガッツなのだ。

 エディさんは柴田のトレーナーをするようになって正式に専属トレーナーになりヨネクラジムへ。

 そこで、3度目の世界挑戦を控えるガッツ石松も見ることになるのだ。

 ガッツはエディさんにタバコをせびるようなダメボクサーだったがエディさんとの相性は抜群だったよ

うでやる気の無いことを言いながらもボクシングに熱を入れるようになる。

 これがエディさんの名トレーナーと言われる所以なんやろうな。

 ガッツの「幻の右」というのは左の使い方がヘタだった石松のの左を鍛えに鍛えて右を溜め込み、鬱憤

を晴らす形ですばやいワンツゥーパンチを繰り出すことによって生まれるパンチなのだがこれを作り上げ

たのもエディさんらしいな。

 3度目の挑戦でロドルフォ・ゴンザレスに挑戦したガッツ石松だが、本当に期待されてなかったらしく

記者会見も記者が5人しか来なかったらしい。

 しかし、いまやガッツ石松の名前を知らない人はいないだろうという有名人やよなな~

 石松とエディさんで有名なエピソードは、試合をだらだら続けてたガッツにエディさんが

 「これはケンカよ!」

 ッていうたのが有名やよなぁ。


 「第五章 太陽のような沖縄ボーイ」は友利正さん。

 友利正はあんまり名前きかないよな。

 凄い男前やったけどだからといって超人気ボクサーというわけではなかった・・・

 まぁボクサーは顔よりもキャラやファイトが重要ということやろな。

 エディさんは友利を専属で見るために友利の所属する三迫ジムに来たわけではない。

 ジプシートレーナーに疲れてきて三迫ジムで落着くために来たのだった。

 しかしエディは友利の動きを見て「ナイスボーイ」を連発、友利は早くも暗示にかかるのだった。

 友利は本当にエディさんの暗示に掛けられ自分が暗示に掛けられてるのを理解しながら成長していった

のだ。

 暗示だけで世界チャンピオンになれるわけちゃうけど暗示に掛けられ自分に自信を持つというのは重要

なことである。

 まぁオイラみたいなしょうもないボクサーと世界チャンピオンを一緒にしたらあかんけど、オイラは自

分を信じることが出来んかった。

 選手を暗示に掛けて自信を持たす、これもエディさんのトレーナーテクやな。

 友利は判定勝ちで王座に着くが初防衛でイラリオ・サパタに判定負けを喫する。

 この判定には陣営は不服だった。

 この時本当は友利は引退しようと思ったのだが言い出せなく再戦することに・・・

 この試合は8ラウンドTKOに破れ引退する。


 「第六章 エディ伝説を背負った少年チャンプ」はオイラのグリーンツダの先輩井岡弘樹さんのこと

を。

 エディさん=井岡弘樹とのコンビってイメージが強いよな。

 オイラがグリーンツダジムに入門した時はエディさんは亡くなってたんで二人が一緒におるのは見たこ

ともないけど・・・

 でも、テレビのドキュメントとかよくやってたし、この二人の物語は演劇にもなってる。

 うちの練習生の高校でも上演されて見たっていうてた。

 まぁオイラがもしエディさんがおる時にツダジムにおっても相手されんかったのは確実やけど。

 エディさんは、ぐちゃぐちゃのファイターで荒々しいだけのボクサーが嫌いだったらしくそういう選手

を「ケンカ坊主」って呼んでたらしいけどオイラまさに「ケンカ坊主」やからなぁ~(笑)



 エディさんは日本ボクシング界に残したものは大きいと思う。

 それまでジムのトレーナーは竹刀持って選手をしごいてたのをハートのラブで教えるって言う考えを広

めていった。

 この本、結構泣けますわ~

 オイラのオカンもこれ読んでたなぁ。

 単行本は絶版やけど文庫本は確かPHPから出てるはず。

 お勧めでぇ~す!
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