らんぶるライフ はてな版

ボクシングの事書いてます

アンラッキー・ブルース

イメージ 1

 今回は、元ボクシングマガジン編集長の山本茂、著の「世界をつかめなかったボクサーたち アンラッ

キー・ブルース」の紹介を。

 故、白井義男さんが世界チャンピオンに挑戦してタイトルを奪ってからその後たくさんのボクサーが世

界に挑戦して来た。

 タイトルをつかんだ挑戦者もいれば、つかめなかったボクサーもいる。

 つかめなかったボクサーの方が断然多いんやよな・・・

 世界チャンピオンになったボクサーは後々まで語り継がれるんやけどつかめなかったボクサーはめった

に語られることはないのが現実である。

 まぁたまに坂本博之や高橋ナオトのように世界チャンピオン以上に語られるボクサーもおるんやけど。

 

 第一話、「ボディをえぐる右アッパー」では、TVの解説で有名な矢尾板貞雄のことが描かれている。
 
 矢尾板貞雄はノンタイトルで当時のフライ級王者パスカル・ペレスに勝利するのだが、タイトル戦で

13回ボディでKO負けしてしまう・・・

 タイトルが移ってポーン・キングビッチに挑戦が決まるも色々な理由で引退するのであった・・・

イメージ 2


 

 第二話、「セコンドは「バック!」と叫んだ」は現ヨネクラジム会長の米倉健司会長を。

 米倉会長は、アマエリートで6回戦デビュー、5戦目に東洋タイトルを取るなどすごい期待されてた。

 7戦目にパスカル・ペレスに挑戦するがキャリアの差になき敗北・・・

 バンダム級に上げジョー・ベセラに挑戦するも疑惑の判定負け。

 当時のホープ青木勝利に敗れて引退。

イメージ 3

 


 第三話、「チャンピオンは吹っ飛んだ」は高山一夫を。

 当時の日本人は今よりも小柄だったため世界を取れるのはフライ級ぐらいと言われてたらしいけどその

時代にフェザー級に挑んだのだ。

 チャンピオンはデビー・ムーア。

 この試合を当時の新聞は「ダンプにぶつかるルノー」と表現したらしいな。

 しかし大善戦の末、判定負け。

 再戦するもまたも判定負け。

 その後、日本タイトルを8度防衛した後J・ライト級に体重あげて活躍、ノンタイトルでKO負けを喫

したのを機会に健康面を心配したジム側から引退させられるのだった。

イメージ 4


 


 第四話「左ストレートを受けてみよ」は川上林成(しげまさ)

 この人は、東洋Jミドル級チャンピオンだったのだが、ものすごい才能を持ちながら重い階級でマッチ

メイクがうまくいかずに、とうとう世界に挑戦できなかったのだった・・・

イメージ 5


 


 第五話 「リングには悔いがいっぱいだ」は、高山勝義の紹介。

 当時のフライ級王者、サルバドーレ・ブルーニとノンタイトルを行いこれに勝利するものの再戦はかな

わず、挑戦が伸びるも王者決定戦でオラシオ・アカバロと対戦。

 判定を落とす・・・

 その後は、日本タイトルにも破れ緊張が薄れ、才能を開花できずに引退。

イメージ 6


 


 第六話 「金魚が黒くなった」は日本初のボクシングメダリスト田辺清を。

 オイラ、この田辺さんとは、あったことがある。

 エディ・タウンゼントさんのドキュメントなんかによく出てるんやけど、この人も当時のチャンプオラ

シオ・アカバロにノンタイトルで勝ってるのだ。

 だが、タイトル戦が決まりトレーニングしてるときに網膜はく離が発覚、泣く泣く引退するのだっ

た・・・

イメージ 7





 第七話 「必殺フックが空を切る」はムサシ中野の紹介。

 この人は浜田剛史が抜くまで日本の連続KO記録を持ってた。(赤井さんはタイ記録)

 当時のウェルター級チャンプのカーチス・コークスに挑戦するために挑戦者決定戦をアーニー・ロペス

と行うがこれに敗北、世界挑戦の夢はかなわなかった・・・

イメージ 8


 


 第八話 「旅の終わりはひとすじの血」は故、関光徳のことを。

 19歳でポーン・キングビッチに挑むも敗北、バンダムにあげるも、ジョー・メデルに破れフェザー級

へ。

 当時のチャンプ、シュガー・ラモスに挑戦するもTKO負け。

 メキシコに行き、ビセンテ・サルジバルに挑戦するも判定負け。

 この試合は今でもメキシコで評判が高く、関光徳の名はオイラが行った時にも聞かれたもんやった。

 この試合の再戦は6ラウンドTKOで終わるのだった。

 最後の世界挑戦はロンドンで行なわれるもレフェリーに不可解な対応によりまけにされ、そのまま引退

するんであった・・・

イメージ 9



 

 第九話 「”計算”が狂った」は日本人唯一のオリンピック金メダリスト桜井孝雄を。

 ファイティング原田に勝ってチャンピオンになったライオネール・ローズに挑戦するも自分でポイント

を計算し、後半を流して判定負けを喫する・・・

 挑戦者決定戦でルーベン・オリバレスと対戦するも自ら倒れてしまう・・・

 その後は東洋タイトルを防衛しながら自分の衰えを感じ、王者を返上し引退するのだった。

イメージ 10


 

 第10話 「別れのテン・ゴング」は”ライオン”古川哲夫の紹介。

 当時のJ・ウェルター級チャンプ、アントニオ・セルバンデスにパナマで挑戦すが判定負け。

 その翌年ペリコ・フェルナンデスと世界決定戦を争うも微妙な判定でやぶれてしまう・・・

 三度目の挑戦は、一度ノンタイトルで不可解な負けを喫したセンサク・ムアンスリン。

 この試合は途中で意識を失い、そのまま戦い続けて判定まで行くというタフネスぶりを見せて敗北。

 その、後は日本タイトルを防衛し続けるが似連敗を喫し引退。

イメージ 11


 

 と、まぁこんな内容です。

 古い人たちなんで顔も知らない人もいるんやけど、昔のボクサーはすさまじいよな~

 今なんか様に、団体もたくさんなく階級も少ない時代。

 挑戦することさえ難しい時代に戦ってきたボクサーたち。

 今のような多団体、多階級の時代ならきっとチャンピオンになれたであろう才能。

 この人たちは今のボクシングをどう見てるんやろか?



 注  敬称は略させていただきました。
 


みんな袴田事件に関心持ってくださ~い!by袴田事件、関心持とう委員会
        
NAボクシングジムホームページ