入鹿池
ダム便覧上では1991年竣工となっていますが、これは再開発が終わった年であり実際には1632年にアースダム
(堤防、堤高不明)として作られたのが始まりです。入鹿池が作られてから約200年もの間付近の農地を潤してきまし
た。
(堤防、堤高不明)として作られたのが始まりです。入鹿池が作られてから約200年もの間付近の農地を潤してきまし
た。
しかし1868年4,5月と降り続いた豪雨のせいで天端に土嚢を積むなどの処置もむなしく決壊してしてしまいます。こ
の決壊により発生した洪水は現在の犬山市を初め広く濃尾平野北東部を飲み込みました。これは「入鹿切れ」とも呼
ばれ記録によれば約1000人の死者を出すという未曾有の大災害となったようです。記録が正しく、同時の堤高が15
m以上あれば我が国最大のダム事故であったのではと思います。
の決壊により発生した洪水は現在の犬山市を初め広く濃尾平野北東部を飲み込みました。これは「入鹿切れ」とも呼
ばれ記録によれば約1000人の死者を出すという未曾有の大災害となったようです。記録が正しく、同時の堤高が15
m以上あれば我が国最大のダム事故であったのではと思います。
今では下流域の農地を潤すとともに、犬山市の一大観光地の一つとして冬はワカサギ釣り、夏はブラックバス釣りな
どで栄えています。訪れた時もワカサギ釣りのボートが沢山出ており、事故を思い出させるものといえば天端左岸側に
ある石碑のみとなっていました。
どで栄えています。訪れた時もワカサギ釣りのボートが沢山出ており、事故を思い出させるものといえば天端左岸側に
ある石碑のみとなっていました。
ちょっと前まで、まだ暑かったので、午前中に自転車でソコまで行って走ってた。
ただ、池といってもめちゃくちゃ大きいし、外周を走ろうとしたら山を越えてとんでもないところに出
てしまいさまよって車の人に助けてもらった。 ←アホ
ここだぁ~!
貸しボートもやってる。
ココは釣りで有名みたいやな。
オイラは結婚する前に奥さんが、こっちに遊びに来てくれたときに連れて行ってボートに乗った。
相当広いから、結構しんどかったわ・・・
夏の暑い日やったから、めちゃくちゃ汗だくになったんやよな・・・
石碑。
相当大きいけど人口のため池なんやよなぁ~
池の横を走る。
池の周りの花もきれい。
天気の良い日は、走ってても気持ち良かったんやよなぁ~
こんなにきれいで、気持ち良い所なんやけど、なんか幽霊出るって噂があるらしい・・・
まぁ、この辺りじゃなくてもっとおくの山の方らしいんやけど、噂聞いてから奥さんは、入鹿池には来
たがらないのだ・・・
ジムから、入鹿池に行くまでの道もこんな感じで、田んぼが多くて気持ちえぇ。
これで、入鹿池が一周できるんやったらランニングコースとしては最高なんやけどなぁ・・・
ちなみにオイラは、最近疲れがたまってたのか、口周りにヘルペスが出てきたので
運動はしばらく休むことにした。
又太りそう・・・