らんぶるライフ はてな版

ボクシングの事書いてます

高校の先輩、元日本王者鈴木敏和さんのこと



 この記事はFB用に書いたものを書き直して後でブログに投稿しようと思ったのですがなぜか520日公開されてしまいました、すぐに非公開にしましたが読んだ人もいるようで意味がちょっと分からなかったと思います、すいません。
 改めて書き直したんで公開します。

 FBで神奈川渥美ジムをやめることになった自分を訪ねてきてくれた友達の写真を投稿というシリーズをやってました。
 この時は自分の卒業した「日本航空学園」という学校の同級生で空手部だったH君が訪ねてきてくれました。 
 FBやってるとこういう再会が嬉しいです。 
 日本航空学園は全寮制で(現在は違うらしい)日本全国、北は北海道、南は沖縄までいたるところから入学者がいた。 
 当時は日本全国に友達ができるみたいに学校も売りにしてましたが、卒業すると離れてしまうので疎遠になるもんです(笑) 
 まぁ地元の高校行ってても疎遠にはなりますが距離があると噂も入ってきません…  
 で、このFBでの投稿の時に来たのは日本航空学園の同期生で空手部だったH君でした。


 ここで、情けない話を告白します(苦笑)
 自分は元プロボクサーなので元ボクサー、ボクシング関係者の友人が多いしこのブログは今はボクシング関連の投稿しかほとんど書かないんでこのブログに来る人はボクシングファンがだいたいだと思います。 
 ボクシングファンってボクシング経験者もいますが完全に見るだけの人の方が断然多いと思います。
 そういう人たちから見ると海外行ってボクシングの試合をしていたという自分の経歴を知ったら「根性あるんやろうな」とか「運動神経良かった、もしくは喧嘩が強かったのかな?」とか思う人も中にはいるかもしれません。
 まぁリアルな自分を知ってる人は自分の情けなさは知ってると思うんでそんなことは思わないとは思いますが(笑)
 自分の卒業した高校、日本航空学園は全員クラブに入らなくてはいけませんでした。
 自分は子供のころから漫画ばっかり読んでるオタク少年だったんですが(ボクサー目指したのもあしたのジョーの世界に自分を置いてみたかった)特に梶原一騎原作漫画が好きで「空手バカ一代」も夢中になって読んでた(当時は全て本当の話と信じてた)んで空手部に入ろうと思って体験入部。
 で、空手経験者のH君も入ってきたわけです。
 H君は子供のころから空手家のお父さんに星一徹のごとく鍛えられていたらしいんで余裕だったんでしょうが、中学生の時は帰宅部で(中2の時に中二病をこじらせてあまり学校にいかなくなったし)本当にだらけ切った生活をしていた自分は練習に全くついていけず二日でやめました…
 三日坊主にもなれない根性なしです…
 それがものすごくコンプレックスになって高校三年間は本当に自信もなくおどおどとしていたように思います…
 で、後で知ったことなんですが自分が一年生だった時の3年生の先輩で後に日本王者になる鈴木敏和さんが空手部に居たらしいのです。
 鈴木敏和さんが日本航空学園の卒業生だったことは現ワタナベジムの井上トレーナーに教えて貰って知っていましたが空手部だったとは!
 何かのFBコミュニティで「鈴木さんは自分の事は知らないでしょうが自分は高校の後輩なんです」という書き込みをしたら鈴木さんのリアル友達らしい人から「鈴木さんあなたの事知ってますよ」とのことでした!
 正直、凄く恥ずかしかった…
 たぶん、鈴木さんは「空手部、速攻やめた根性なしが、ボクシング始めたけどまぁ無名で終わったな」とか思ってたしょう(苦笑)
                それでは鈴木先輩のボクサーとしてのプロフェールでも
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 元日本Jライト(現Sフェザー)級王者、鈴木敏和先輩(神戸拳闘会)             
全戦績 24戦18勝(11KO)5敗1分 
 15歳で空手を始め、高校三年生の時に全国大会で優勝、高校卒業してボクシングを始める。 1988年4月にデビュー、TKOで勝利を収める。 
 デビューから三連勝し4戦目でドローながらも規定により全日本新人王を獲得! 
 その後二連勝するも7戦目に後楽園ホールで初の外国人選手、ピエール・フォンティンに判定負けで初黒星。 
 日本人相手に再起戦を行い7ラウンドTKOで再起! 
 その後も5連勝(4KO)と調子を上げ大きなチャンスが巡ってくる。 
 当時オールKOで勝ち進み、アマエリート赤城武幸を破って日本王者になって勢いに乗りまくっていた日本Jライト級王者渡辺雄二に挑戦が決まる! 
 この試合は9ラウンドTKOで敗れ戴冠はならず… 
 フィリピン人相手に再起戦を行い判定で勝利し再起。 渡辺雄二の返上により赤城武幸に移っていた日本Jライト級王座へ再び挑戦。 
 この挑戦は判定負けで再び挑戦は実らず… 
 フィリピン人相手に再起戦を行い4ラウンドKOで再起。 
 真野功を4ラウンドに下し調子をあげる。 
 フィリピン人との試合を挟んだ後、古城賢一郎をTKOで下し日本王者になっていた真野功の初防衛戦の相手に選ばれる。 
 真野功を5ラウンドで倒し、三度目の正直、日本タイトルを獲得するのだった! 
 このタイトルの初防衛戦はピストン堀口の孫、堀口昌彰を判定で下しV1! 
 二度目の防衛戦は西田裕を判定に下す。 
 次の試合で東洋フェザー級王者クリス・サギドとノンタイトル戦を行い判定負け。 
 日本王座三度目の防衛戦で三谷大和と戦い判定負けで王座陥落… 
 これが最後の試合となった。 
 改めて戦績見るとすごい相手と戦ってますなぁ~ この当時のSフェザー級はなかなか良い選手多かった人気階級です。 
鈴木先輩はそういう激戦区で日本タイトルを獲得したすごい人です。 
 ふと、思ったんですが、自分は二日で空手部をやめたんで鈴木先輩は空手部二日でやめた根性なしとか思ってるんじゃないかと書きましたが二日でやめたんで空手部にいたことを覚えてない可能性もあるような気がしてきました(笑)   井上トレーナーが 「ツダジムの自分の教え子(井上さんは担当じゃなかってもんこういう言い方すぐにする(笑))が鈴木さんの後輩ですよ」   みたいなこと言って記憶に残ってるだけなのかもしれません…
 それにしてもH君とは卒業以来だから30年近くぶりに会って嬉しかった。
 高校生の頃から男前でしたが30年たった今でも格好良いおじ様になってました。(写真出せないのが残念です)
 自分はブクブク太って白髪のおじさんですが(苦笑)