リングはぼくの戦場だ カンムリワシ 具志堅用高自伝
今回は具志堅用高の自伝、「リングはぼくの戦場だ」の紹介を
この本が出たのは10度目の防衛をした後ですな。
プロローグは10度目の防衛戦、対ティト・アベラ戦のリングサイドに座る川上健一氏(何者か知りませんが)の目から語られる。
チャンピオンの勝利が不安な筆者の周りには具志堅の勝利を疑わない観客にあふれていた。
そしてその観客の期待通りに防衛する具志堅!
第一章 石垣島のワンパク小僧
そんな石垣島で兄、姉、弟に挟まれた次男として生まれた用高。
生まれたころは身体も小さくよく病気をしたらしく後の世界王者の片りんはなかった…
そんな用高も小学校にあがるころにはいっぱしのわんぱく坊主に成長していた。
小学生時代は体が小さくても元気でカバーしていたが中学生になり野球部に入って自分の身体の小ささで苦労の連続、やめて卓球部に入った。
そんな用高は高校入試に失敗、工場で働くことに…
第二章 ボクシングをやれ!
それを叱咤され、先生はクラブに入ることを進めるのだった。
仲井真の誘いは断っていたが、下宿を紹介してくれるという話だった。
興南高校は私立高校で下宿もしなければならず親に経済的負担をかけてしまう…
しかし仲井真が紹介してくれるという下宿はお風呂屋さんで風呂掃除などを手伝えば下宿代がタダになるというのだ。
すぐに飛びつく用高だったがこれが彼の運命を変えるのだった…
下宿の上原湯は父親が大のボクシング好きで三男の勝栄はボクシング経験はないがコーチをし、其の下の康恒と晴治(フリッパー)は沖縄の星と言われたボクサーなのだ。
下宿の条件はボクシングをすることだったらしいのだが、仲井真の友人として特別待遇でボクシングをやらないで良いという条件で下宿させてもらったのだった。
そんなある日、勝栄からボクシングを勧められる用高。
最初は断るが下宿に居られなくなるので親の反対を無視する形でボクシングをする羽目に…
第三章 やるからにはチャンピオン
ボクシングは不良のやるスポーツと毛嫌いしていた用高だったが初めてみるとすんなり溶け込んでいけた。
待ちかねていた仲井真から金城真吉先生を紹介される。
金城先生は消防署に勤めながら興南高校のボクシング部のコーチをしているのだった。
そしてボクシングを始めて100日もたたないうちにデビュー戦が決まる。
勝栄さんや金城先生を失望させないためにがむしゃらで戦った結果判定でデビューを飾る用高!
インターハイ予選ではトーナメントなので先輩とあたり判定負け、初黒星は余計に用高をボクシングにのめりこませるのだった。
翌年は同じ相手に判定勝ち、その後も勝ち進み全国大会で準決勝までいくのだった。
アマ時代で一番みじめな敗戦は韓国遠征に行った時のこと。
その後のプロでも受けたことのないような打撃を受けた用高はインターバルで「もうできません」と泣きを入れたほどだった。
高校生の1ラウンドは2分だったのだがこの試合は3分、何とか耐え抜いたものの惨敗だった…
なによりも自分の気持ちに負けそうになったことがみじめだったのだ。
そこから踏ん張りとうとうインターハイで優勝するまでに成る用高であった!
第四章 金メダルかプロ入りか!?
高校でアマチュアボクサーとして活躍していた用高はオリンピックの金メダリストを目指していた。
拓大で学費免除の約束を取り交わし大学3年の時に行われるモントリオールオリンピックに照準を定める用高。
しかし、其の裏で師匠である上原勝栄はプロ入りを企てていたのだった。
勝栄の強引な誘いにも負けずに用高はプロ入りをかたくなに拒否、しまいには暴力も振るわれたがそれでも首を縦に振ることはなかった。
そんな時に拓大から学費を振り込めという通知が…
学費免除のはずなのにと動揺する用高。
そういう気持ちで東京に向かった用高を空港で待っていたのはなんと協栄ジムのトレーナーだった!
そして金平会長に説得される用高。
「オリンピックで金メダルを狙うのも良いけど金メダルでが飯は食えない、プロの世界チャンピオンになれば稼いで親孝行ができるんだぞ」
親孝行の一言で用高はプロへの道を決心するのだった。
アマチュア関係者には多大な迷惑をかける形になってしまったが用高は謝るしかないのであった…
第五章 プロの世界
金平会長が100年に一人の逸材として売りだした具志堅のプロデビュー戦は4回戦、判定勝利だった。
KO勝ちすると思っていた関係者からは期待はずれであったようだった。
フライ級としては体が小さかった用高は身体作りのためにトレーニングジムに通う事に。
そして組まれた2戦目はデビュー戦と同じ相手。
今度こそはと思ったがまたも判定勝ちだった…
体力不足を指摘される用高だったが、プロ二年目に朗報が!
ジュニア・フライ(現ライト・フライ)級が新設されたのだ!
Jフライ級が新設されその第一歩の試合でセサール・ゴメス・キーを圧倒的な力でKOした具志堅!
これで手ごたえを感じた金平は世界戦線に乗り出すのだった。
第六章 挑戦!
相手はWBAジュニア・フライ級チャンピオン、ファン・グスマン!
しかし世間はまだ8戦しかキャリアのない、日本タイトル戦もしていない具志堅の勝利は無いものと考えていたのだ…
それもそのはず、相手のグスマンは軽量級ながら26戦25勝(20KO)1敗という驚異的な戦績の破格のパンチャーでそのパンチングパワーと風貌からリトルフォアマンと恐れられていたのだった。
そんな相手に挑戦する具志堅だったが絶対に負けられないという思いは強かった。
迷惑をかけたアマ関係者に「具志堅はプロに行って良かった」と思わせなければいけないのだ。
そして世間の目からはアンダードックとしてリングに上がる具志堅だったが、見事7ラウンドKOで勝利、世界王者になるのだった!
第七章 防衛
初防衛はハイメ・リオス(パナマ)。
初防衛を飾ってこそ世界王者、その思いで挑んだ試合、結果は顔がボコボコに腫れてダウンも食らい出来も良くなかったが何とか判定勝ちをする。
二度目の防衛戦はリゴベルト・マルカノ(ベネズエラ)。
この試合でオプションが無くなるというので是が非でも勝ちたいというk時餅が強く勝ちに徹した試合だった。
三度目の防衛戦ハモンシャム・マハチャイ(タイ)。
オプションもなくなり自由に相手が選べたこともあり世界10位の下位の選手との試合、防衛戦初のKO(4回)で勝利。
四度目の防衛戦はアナセト・バルガス(フィリピン)。
14回KO勝ちで勝利も楽勝を伝えられていたのに苦戦した試合だった。
五度目の防衛戦はハイメ・リオス(パナマ)との再戦。
全かいダウンも奪われているので完全決着をつけたいと意気込んで挑んだ試合で13回KO勝ち!
六度目の防衛戦は鄭 相一(韓国)。
この試合は8ラウンド以内のKOン勝ちを予告して5ラウンドKO勝ち、6度の防衛は輪島、小林弘と並ぶ国内記録だった。
七度目の防衛戦はリゴベルト・マルカノ(ベネゼエラ)との再戦。
八度目の防衛戦はアルフォンソ・ロペス(パナマ)。
この試合はかなり苦戦し逆転で7ラウンドKO勝利をもぎ取った。
九度目の防衛戦はラファエル・ペドロサ(パナマ)。
この試合は連続KO防衛こそ逃したが大差の判定で「勝利を挙げている。
第八章 カンムリワシの青春
この章はいろいろなことについて具志堅が語っている。
金平会長のこと、僕の生きざま、チャンピオンのこと、カンムリワシのこと、おやじのこと、おふくろのこと、兄の用詳のこと、姉の圭子の事、弟の透のこと、初恋のこと、ある女性のこと、自分に誓ったこと、これからのこと、などが書かれてる。
ある女性とのこととは日本とフィリピン人のハーフの女性との恋を周りから反対されて破局したこと。
世界王者になると色々あるもんなんでしょうな…
具志堅が現役で人気絶頂の時に出された自伝、まぁアイドル本みたいなものですな。
まぁよく知られたエピソードを具志堅の思いで読んでみると又違った趣があります。
オイラ、具志堅の試合を生放送で観た記憶は最後の負けた試合しかないんやけどあのころは本当に国民的ヒーローやった。
今は間抜けな天然ボケのおっさん扱いになってるが当時は本当に格好良かったのだ。
現役時代の格好良さを知らないで
「具志堅ってパンチドランカー?」とか思わないでほしい。
本当に格好良かったんやから。
本には少しだけカラー写真も載ってます。